2007年11月11日

刑場に消ゆ  点訳死刑囚二宮邦彦の罪と罰     矢貫隆

 死刑判決から執行までの十数年に渡って点訳した書籍1500冊。

とりつかれたように点訳に没頭し、昭和48年に命を終えた二宮邦彦

の生涯を追いかけたドキュメンタリー作品。

 彼に関わった記者・点字書籍を所蔵している図書館の館長・宗教関

係者・ボランティア・文通相手・拘置所で一緒だった免田栄さんらを

訪ね歩いて、点訳に没頭していった二宮さんの心の軌跡を追いかけた

作品。

 死刑執行が今から34年も前。当時の関係者も高齢化していながら

も、当時の関係した方々丹念に聞き取りをしているだけでなく、エッ

セイ・手紙など残っていたものから二宮像を丁寧にあぶりだしてい

た。

 ところが、終章まじかで二度水を浴びせられた。一度目はぬるま

湯、二度目は氷水。

 一つは当時の控訴審での弁護士への取材。国選弁護士は彼の事件を

覚えていないの一点張りで、控訴趣意書も争う気がないのは明らかな

内容。果たして一審判決の死刑が妥当な量刑だったかどうか争えるの

に全くやる気なしにも思える控訴趣意書。弁護士に熱意があるか有能

なら死刑判決は覆せたかもしれないとの思いがよぎった。

 もう一つはある死刑囚と獄中結婚した女性が出版した書籍の存在。

 彼女が獄中結婚した相手は書籍では仮名。でも、書籍で引用された

判決文は二宮さんのもの。手紙の書き方が二宮さんの癖と同じ。

 でいながら矢貫さんの取材では二宮さんが獄中結婚したとは誰も証

言していない。また、人格がずいぶん違っていることや点訳書籍数の

疑問もある。矢貫さんはこの女性がペンネームであるため、取材の依

頼を出版社を通すものの、女性から取材拒否される。

 もしかすればこの女性の書籍が虚構で作られているのかもしれな

い。もしかすれば二宮さんが別の人格を演じていたのかもしれない。

 読みながら組み立ててきた二宮さんの虚像がここにきて一気にばら

ばらされた気分。

 死刑囚の生き様の話ではなかった。

 「人」は関わる人たちによって幾重にも「どんな人」なのかを創造

される。「人」は他人に合わせてアイデンティティを変えることもで

きる。

 「わたしって誰?」・・最後の最後にこんなところに連れて行かれ

てしまった書籍でした。
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2007年11月07日

「包帯クラブ」天童荒太

 最近映画化されたおかげで知った作品。

 子どもたちは得てして、辛い体験も悲しい体験も悔しい体験もうま

く言葉にできず、日々を過していこうとする。

 思春期になって深く深く自分の心を掘り下げてみると古いとげが刺

さったまま、血は凝固して変色している傷を見つける。見つけると同

時にとげは抜け、再び鮮血が流れ出す。
  
 中学時代仲良し同士で作っていた「方言クラブ」の仲間も高校進学

とともにばらばらになりクラブは閉店休業状態。その一人ワラが、ふ

としたことから「傷」の痛さに苦しんでいると言う人に出会う。その

人の心の傷に関係する場所、物に真っ白な包帯を巻いてみる。「ほ

ら、血が止まったでしょ」。

 かつて友人や家族とのかかわりでもやもやしたり納得できない・や

りきれない思いを抱いたことのある思い出の場所に包帯を巻く。包帯

を巻くのは傷があるからで「確かに自分は傷ついていた」と認めるこ

とができ、ほっとする。傷があるから巻くんじゃなくて、巻いてみた

ら傷があったんだとようやく自分を納得させることができるようにな

る。

 かつての「方言クラブ」の友達に声をかけ新しい仲間を入れてでき

た「包帯クラブ」。やがて自分たちの傷を癒すだけでなくネットで呼

びかけて傷を持った人の話を聴いて、彼らに代わって包帯を巻いて回

る。つまり包帯クラブは思春期の子どもたちの生き直しのために儀式

を執り行った。ところが・・・・。

 未熟な子どもたちがお互いを傷つけ、傷つけられ、黙り込んだり笑

って誤魔化し、何事もなかったように生きていく。子どもは、「いつ

も元気で仲良く、喧嘩してもすぐ仲直り」なんていう姿を押し付けら

れているってことかもしれない。

 小説にところどころ挿入される大人になったワラたちのサイト上で

のやりとりが「包帯の効果」をさりげなく教えてくれる。

 どこか内向きの内容だけれど、この成人してからのやりとりを見る

と傷は早いうちに治しておくにこしたことはないとつくづく思う。

 どれだけ自分の感情を素直に受け入れられるかということに尽きる

んだろうけど、おとなになっても難しいかも。
 
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2007年10月08日

「赤ちゃんの値段」

 この表題だったので、あかちゃんを育てて臓器移植に利用したり、

児童買春の業者に売ったりというおぞましい内容かとどきどきしなが

ら読んだ。直接的にはその方面にまでは切り込んでいなくてちょっと

ほっとしたり、でも喜べない内容に改めて子どもってどういう存在な

のかを考えさせられてしまった。

 読売新聞で連載された「赤ちゃんあっせん」「続・赤ちゃんあっせ

ん」をもとに書籍化されたのがこの本。

 欲しくない子どもを海外養子に斡旋するNPOやら個人、産婦人

科、出産した母親、養親を尋ねて、日本では規制のない赤ちゃんの斡

旋の実態を追っていた。

 何故国内養子でなく海外なのか、斡旋にともなう費用(子どもその

ものの値段は算定されていない。それは当たり前。費用項目に子ども

の値段が明記されていたらあからさまな人身売買に相当する)の不透

明さ。不透明ってことはどこかに実費ではなく誰かが儲ける余地があ

ると思われても仕方ない。
  
 それにしてもあっちにやられたりこっちにやられたりと、意思表示

できない赤ちゃんを時には大人の都合で、時には赤ちゃんの幸せとい

う言葉で決められていくのはどうにもやるせない。

 先週見たテレビで予期せぬ妊娠で育てられない状況の親に出産を支

援、産後もフォローアップしたり、時には養子縁組を仲介したりして

いるという番組があった。番組では生んですぐに養子にした子どもを

実の親が養親を訪問して抱いているケースもとりあげていた。その後

の子どもの育ちを見ることができるというメリットをコメントしてい

たが、そのときに違和感が残ってしまった。まだ1歳にも満たない赤

ちゃんの年齢ならまだいいとしてもし、いろんなことがわかるように

なったときにこの日本ではどうなんだろうかと。

 今回読んだ本でも養親と実親とが子育てに関わっているケースが紹

介されていた。「オープン・アドプション」開かれた養子縁組という

システムらしい。細かいことはここで紹介しないけれど、多様な家族

観を受け入れているアメリカだからこそ成り立つシステムだという気

がした。そして障害児であっても積極的に養子にしたいというキリス

ト教の精神が根付いた国でもある。(もちろん偏った考えの土台が宗

教だったりもするけれど)養子も多い国ならばこそオープン・アドプ

ションは成功の率も高いかもしれない。

 でも、日本はどうなんだろう。あくまでも血縁重視。養親も里親も

不足している。実の親ですら障害児を生むと悲観する。「子ども」の

存在価値が大人の価値観の下で決められているようなこの国では、な

かなかオープン・アドプションは難しい気がする。

 テレビのケースとタイミングよく読んでいた本とが似た設定だった

ので心に引っかかってしまった。  
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2007年09月30日

「青い鳥」 重松清

 彼の作品はどれも言葉が選ばれていると感心する。

 そして思春期の子どもの屈折していたり・揺れている気持が会話に

出ている。でもその気持はストレートに現れていないため相手には伝

え切れていない。いないどころか、気持を隠して嘘を言ったりするた

め、全く相手には届かない。そういう、ある意味隔靴掻痒の人間関係

のあるところにキーパーソンがさりげなく設定されている。

 本作品では重い吃音をもつ教師村内先生。

 彼は出産や長期入院で仕事を一時的に休職せざるを得なくなった先

生方の穴埋めとして派遣される。担任であれ、教科だけの担当であ

れ、学期の途中から担任復帰までの短期間だけしか彼は子どもたちと

関わらない、関われない。こどもたちもまた吃音の先生への軽侮と苦

笑とどうせ短期間だけの先生としか最初は思っていない。

 クラスでは吃音を笑う生徒たちを前に「僕は大切なことだけ話しま

す」とつまりながら、語りかける。

 彼は必ず一人ぼっちの子どものそばにいて「間に合ってよかった」

とつぶやく。自分もまた吃音という障害をもち一人ぼっちだからこ

そ、クラスで一人ぼっちの子どもがいたら「一人ぼっちが二人いれ

ば、それはもう、一人ぼっちじゃないんじゃないか・・」「だから先

生をやっている」と話す。

 表題を含む全8編の短編のどの作品にも、「村内先生」の子どもの

心を見つめながら寄り添う言葉が「大切なこと」として子どもたちに

語られる。その言葉は「金八先生」のように饒舌で熱はこもっていな

いが、だからこそ素直な気持で心の中にしみわたってくる。

 「私もあの頃にこういう人に出会えていたら・・・」と当時の屈折

した自分の姿を重松さんの作品にでてくる中学生たちと重ねながら、

読んで涙してしまった。この作品だけでなく他の作品でも・・・。
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2007年09月26日

「風の影」カルロス・ルイス・サフォン著

  「文学したなあ」と実感できるほど重厚な作品。

 1945年、古書店の息子ダニエルは父に連れられて「忘れられた

本の墓場」という秘密の場所に案内され、一冊の本を手にする。フリ

アン・カラックスという無名の作家の作品「風の影」。ダニエルは本

に魅入られて謎の作家フリアン・カラックスを探す「旅」に出る。フ

リアンの周辺にいた人たちを尋ね歩くなかで、フリアンにかかわりの

あった人物がダニエルの身辺に現れる。フリアンの全体像が徐々に現

れ、人生の切なさが迫ってくる。フリアンの影が姿を現すにつれ、ダ

ニエルとフリアンの相似性があざなえる縄のように絡まってくる。

 かつてフリアンがそうであったように、ダニエル自身もまた苦しみ

とともに成長していく。

 一人の少年の精神の成長。恋愛。栄華と没落。人間の闇。再生。バ

ルセロナの歴史や町並み。スペインの政治。ミステリーの要素もたっ

ぷり。

 面白い本はあるけれど、文章の力で読ませる本とは最近付き合って

なかった。どうでもいい内容や不必要な形容詞を使ってないので斜め

読みや飛ばし読みなんかできないし、したいと思わない。

 時間のたつのも忘れて読みふけってしまった。
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2007年09月24日

「国境お構いなし」

 久しぶりに上野千鶴子。

 最初から彼女が一人旅で異国に身を置く快感というか緊張感に同

感。やっぱり「パック」じゃつまらない。たとえ時間がかかって無駄

が多かろうと、相手のいっていることがチンプンカンプンであろう

と、失敗があろうとも安易に頼ることのできない状況にありながら、

困難にもめげず頼るために汗をかくのが醍醐味。こんな「アナクロニ

ズム」、時代にはマッチしてないけれど構わない。要は「人はどうあ

れ私はどうしたいか」だから。
 
 さて、この本決して旅の本ではなくて彼女が旅しながら「社会学し

た」本なのでそれがまた面白い。特にメキシコの女性社会学者とのさ

りげない会話。

 あちらの女性学者いわく「あなたを始めメキシコに来る日本の女性

学者は軒並み独身なのはなぜ?」

 上野さん、ただ単にそれに答えるのみならず、メキシコの差別社会

をしっかりと捉えている。そして、免罪符のように言う女性学者の偽

善性もソフトながら指摘している。いかに平等な生き方をしたくても

バックボーンが邪魔をするのがメキシコ。

 かたや日本の「一億総中流」なんて言い訳かと思っていたら、世界

的に見れば本当に一億総中流の層が厚い。だからこそ男女間の対立が

まだ続く。
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2007年09月07日

「生きさせろー難民化する若者たち」雨宮処凛

 以前書いた「ワーキングプアの反撃」で福島みずほと対談していた

相手の雨宮さんの名著(といっているのは私だけ?)。

 いえいえ、この本、今年の8月に日本ジャーナリスト会議のJCJ

賞を受賞しているのです。

 日本ジャーナリスト会議は1955年2月に結成、「再び戦争のた

めにペン・マイク・カメラを手にしない」という誓いのもと、ジャー

ナリストたちで結成されたもの。

 1958年来毎年優れた言論報道活動をした個人・団体に賞を送っ

ている。最近では「女性法廷の組織活動と法廷記録」バウネット・ジ

ャパン、『医者 井戸を掘る−アフガン旱魃との闘い』中村哲さんらの

作品が受賞をしている。どちらも関係者が最近、来静している。

 で、もしかしたら雨宮さんも来静しないかなあ、と人頼みのわた
し。

 この本、いかに「夢を追い続けるという誰が押し付けたか知らない

言葉」でフリーターを「よいしょ」し、「だからいいだろいつでもや

められる仕事で」といわんばかりの劣悪な労働環境を提供している企

業の姿勢をしっかりと追求している。フリーター、アルバイト、パー

ト、派遣、請負、偽装請負の経験者の聞き取りを丁寧にして企業が巧

妙に利益を吸い上げていることをあぶりだしている。

 でもこの本に勇気付けられるのは、やられっ放しではいられないと

立ち上がった若者の行動も紹介していること。どんな働き方であれ人

間の尊厳を奪っていいってことはない。

 こういう本は是非とも赤絨毯の上を歩いている人に読んで欲しい。
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2007年08月28日

「リトビネンコ暗殺」

 この本、取り掛かったところでまだ60ページしか読めていない。

(総ページ数468ページ)

 アレクサンドル・リトビネンコ氏は2006年にロンドンで変死

し、体内からポロニウム210が検出され、ロンドン警視庁は毒殺さ

れたらしいと報道された。

 この本は彼の妻と友人のアレックス・ゴールドファーブとの共著で

出版され、日本で今年6月に翻訳されたもの。リトビネンコ氏がロシ

アの元連邦保安庁(FSB)職員。彼の殺害に関わる書物だけに登場

人物はロシア人が多くて読みながらなかなか名前が記憶できない。

(老化で記憶できなくなっているのかもしれないけど。)

 で、今朝の朝日新聞朝刊国際面のベタ記事に驚いたのは

「女性記者殺害 治安職員ら逮捕 ベレゾフスキー氏黒幕?」のリー

ドを読んで。

 「女性記者」の部分で、以前ここにも書いた「アンナ・ポリトコフ

スカヤ」さんのことではないかと思い、「ベレゾフスキー氏」という

名前はあまりに新鮮な記憶で脳裏にひっかかり、目が釘付けになって

しまった。

 記事を読んで驚いた。
 
「ロシアのチャイカ検事総長は・・・・女性ジャーナリストのアン

ナ・ポリトコフスカヤ氏が昨年10月モスクワの自宅アパートで殺害

された事件で現職の治安機関職員を含む10人を逮捕した」「また、

犯罪のの背後にロンドン亡命中の富豪ベレゾフスキー氏がいることを

示唆した。」

 このベレゾフスキー氏はこ

の本でも登場人物の一人である。

 しかも妻と共著になっているアレックス・ゴールドファーブ氏の略

歴がこうなっている。

「1970年代にロシアから脱出した反体制科学者で、コロンビア大

学の教鞭もとったこともある。・・・・アレクサンドル・リトビネン

コ氏とは1990年代に親しくなり、リトビネンコとその家族がイギ

リスに亡命するのを助けた。リトビネンコの回想録の執筆に力を貸

し、FSBの不正を暴くことに協力してもいる。現在は、人権擁護活

動を目的とするベレゾフスキーの財団の理事になっている。」

 ここまでくると誰が誰と本当に手をつないでいて、誰と誰が嘘で手

をつないでいるのやらわからない。まるで韓国映画の「二重スパイ」

世界。
 
 年をとってだんだん複雑な思考に耐えられなくなっているわたしの

頭には全くついていけない新聞記事でした。
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2007年08月26日

聖灰の暗号(上)

 久しぶりに帚木蓬生の作品を読んでいる。

 「ダビンチ・コード」とテーマの質が似ている気がしないでもな

い。キリスト教の異端一派が中心テーマ。

 ただ「ダビンチ・コード」のように誰を信じていいのかわからない

まま追いつ追われつの激しい展開はない。むしろフランスの風景や登

場人物の背景を味あわせながらゆったり、のんびりと話が進む。

 それにしても、元々は同じ宗教でありながら、聖書の解釈のちがい

で数多くの流れができている。同じ宗教であるからこそ違う解釈は許

せないのだろうか。徹底して弾圧しようとする権力ある宗派。弾圧に

屈しながらもあらゆる策を練って教義を守ろうとする少数派。それを

掘り起こし歴史に残そうとする学者とあくまでも異端は認めず隠滅し

ようとする多数派宗派。

 それは宗教に限ったことじゃない。この世の中いくらでもある話。

 突き詰めれば人間一人ひとりの頭の中は違っているし、思考もさま

ざまだからこそこうなる。そのおかげで世界は発展もし、多様なもの

が生み出される。一人の人間も日々変貌していく。

 多様性を肯定的に見ることができるのか、否定的に見ることができ

るのか。楽しめるのか不快に思うのか。そしてその感情に基づいて人

はどのように行動しているのか。その結果が今に現れているんだろう

なって深読みしてしまった。

 実はまだ下巻を読んでいないので、この文章は読後感じゃなくて読

中感でしかないんだけど、読み終わってから書けばいいのにって思わ

ないでもない。でも、今週下巻に取り掛かることができるかどうかわ

からない。下巻をよんだらこの読中感を書く気が失せるかもしれな

い。明日のわたしは今日のわたしと違っているかもしれないんだか

ら。

 「日々変わるわたし」を生きるのも疲れるわ。
 
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2007年07月26日

ワーキングプアの反撃  雨宮処凛×福島みずほ 七つ森書館

 昨日この本を含めて何冊か「希望図書が用意できました」という連

絡が図書館から来たので早速借りてきた。新刊なのと話題性から次の

希望者が待っているので早めに返却しないといけない。

 帰宅後早速読み始めた。雨宮さんと福島さんの対談になっているの

で文章が話し言葉なのと相槌なんかもあるのでどんどん読めてしま

う。で結局一晩で読み終えてしまった。

 雨宮さんの履歴とゴスロリファッションに引く人もいるかもしれな

いけど、あちこちで発信している彼女の発言内容は的を得ているし実

体験の持つおもさもある。至極まともな考えの持ち主。福島さんはい

つもメディアに出ているときは何とか反撃しようと身構えて発言して

いるし、堅いことを言わないといけない状況に置かれているだけに、

そういう面しかお目にかかったことがない。対談では結構面白いこと

も言うんだと、ちょっと驚いたのと身近に思えた。

 何箇所か、共感できる言葉に出会った。

「『いろいろな常識やこの社会の仕組みはすべて疑い得る。自由に生

きよう』と思うようになったんですよ」とは、福島さんの言葉。(で

も中山千夏がコンサートで言ったせりふかもしれない。)

自由に生きたいと願いながらもなかなかそうはさせないのがこの美し

くない国。

 そうそう、最近も選挙がらみで児童手当の引き上げをきくけれど、

引き上げたからといって必ずしも子どものことに使われるとは限らな

い。私は母子手帳が交付されるのと同様に、生まれたらその子どもに

その子名義の銀行通帳(現行制度下では無理だけれど、仮称「日銀子

ども銀行」発行の通帳みたいなもの)が交付されその子の児童手当は

毎月そこに入金されるようにするといいのになって常々思っていた。

(もちろん子どもの経済行為ができない間の運用など検討課題はある

けど・・)

 この本の中にスウェーデンでは学校の社会科教科書に「「もらった

子ども手当ては何に使うか」ということが取り上げられていると紹介

されていた。つまり子ども本人に支給されているわけ。だからとって

も共感した。自分のものを自分がどう使うか自分が決める、つまり自

己決定権の学習がなされている。

 かたや高卒でプレカリアート、かたや東大出の弁護士。でも共通す

るのは誰もが幸せに生きる権利を保障される社会を求めたいという熱

い思い。

 そういえば、明日福島さんが静岡に来るんだって!ちょうど静岡に

行く用事があったので、せっかくだから行ってみようかな、この借り

た「ワーキングプアの反撃」を携えて。

posted by ほたる at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月21日

スピリチュアルにハマる人、ハマらない人     香山リカ

 最近流行のスピリチュアル。カリスマ性のあるらしい人が広めてい

るけれど、私にはピンと来ない。彼にはこの前ここに書いた田中民の

ような存在感が感じられない。ただの人のよさそうな人が耳ざわりの

いいことを言っているくらいにしか思えないけど・・・。でもブレイ

クしているんだそうで・・・。

 先日カウンセリングブームの仕掛け人となった人が亡くなったが、

このカウンセリングとスピリチュアルとの間に共通項がある。つまり

問題の矮小化。自分の気持ちを入れ替えさえすればなんとかなるとい

う到達点を目指しているかのようなカウンセリング。それでいて決し

て本気で変わろうなんて思っていなくて、カウンセラーに「あなたの

ままでいいんだから」と言ってもらって、落ち着いてしまう。そこ止

まり。スピリチュアルも心が癒されさえすれば、それでいいというと

こ止まり。
 

 いまある自分を苦しめている問題が個人の心がけや気持ちの持ちよ

うでどうにでもなるというところで、終わらせてしまってはいったい

誰が得をする?

 あなたのままでいいという表現はわたしもするけれど、次のステッ

プへのエネルギーとするために必要だからこの言葉を使っている。あ

りのままの私が息苦しさを感じているのは社会に問題があるからかも

しれないと、自分が社会につながるための原点だから。そのへんが欠

落して理解される危険性を感じるのがこのスピリチュアルブーム。

 香山リカさんも、御自身はハマらない側であることはわかっている

けれどなかなかカミングアウトしにくいとおっしゃる。

 そういうことそのものが危険なんだよということが伝わりにくいほ

どの「美しいスピリチュアル」ブーム。

 カウンセリングに関しても社会心理学からのバックラッシュが起こ

るかもしれないと今後の動きに注目してみたい。
posted by ほたる at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

「私たちの幸せな時間」

 韓国の女性作家の作品で翻訳者は蓮池薫さん。彼は北朝鮮に拉致さ

れ、生き抜くために日本語資料を朝鮮語に翻訳させられた。この体験

を無駄だったというのは、24年にも及ぶ拉致の生活を否定し彼の半生

をなかったことにすることにもなりかねない。

 そこで逆転の発想。再び日本での生活を送る中で、朝鮮語を生かす

方法として韓国の文学を翻訳するという道を選んだ彼。

 訳した三作目が「私たちの幸せな時間」。

 死刑囚と自殺未遂を繰り返す女性。家庭環境も社会的地位も別世界

の二人。この二人が拘置所で面会をするうちに、心の扉を開けて人間

としての交流を始める。

 訳者である蓮池さんもあとがきに書いてあったが、随所にずしんと

響くようなせりふがあり、考えさせられる。性虐待、貧困、児童虐

待、暴力、差別、死刑制度など深刻な社会問題が絡みながらも、一貫

して流れるのは人と人とのかかわり。そして人に関わってもらうこと

で人は変わることができるということ。

 その人間の本質と矛盾する死刑制度。その川を挟んで向き合った二

人の間に流れたのは、これまでの人生で求めても得られなかった幸せ

なひとときだったという皮肉。

 実はこれが映画化され日本でも7月14日から封切り。こちらでも

9月1日からシネギャラリーで公開される。本を読んでしまったので

原作のイメージを壊されたくないけれど、おそらくこの映画、韓国版

「デッドマンウォーキング」ではないかと秘かに思っている。
posted by ほたる at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

「わたしを離さないで」 カズオ イシグロ 著

 イギリス育ちの日本人の著者が英語で書いたこの作品は、へールシ

ャムという施設育ちの女性キャシーの視点で物語は綴られている。

 第一章で31歳になったキャシーは介護人として11年の年月を過

ごしたところから始まるが、どことなく背後に事情を抱えた語り。そ

うしてキャシーの職業が「介護人」なら一方は「提供者」として表さ

せる。まずここで思考が止まる。今の日本で「提供者」とはサービス

提供者と称されるので介護人サイドのを髣髴とさせる。でも本書では

一貫して介護される人間が「提供者」と言い表される。未熟な翻訳者

が変な訳をしたのかと、巻末の訳者履歴を見てしまった。でもそれほ

どひどい訳をしそうな感じでもない。仕方ない、翻訳物は訳者の当た

り外れもあるから、読み進むなかでより「提供者」がどういう位置づ

けか判ってくるだろうとあまり言葉にこだわらないことにした。

 そんな疑問を抱いたものの、第二章以降はかつてキャシーの育った

へールシャムでの子どもたちと保護官との日常生活へと移っていく。

 その施設は外部との接触を避け、広い草原のすり鉢状になったその

底に建てられている。近隣の住人は一切出てこない。

 子どもたち自身、施設にいる間は結局自分に関する基礎情報が一切

明らかにされない。保護官に聞いてはいけないものだという暗黙の合

意のような空気もある。それでも成長する中で人は自分を自ずと求め

たがる。

 へールシャムの子どもたちとて同じ。自分にはどういう生い立ちが

あり、いったいどういう人間で、20歳で施設を出たらどうなるのか

をささやかな施設での生活、子ども同士のいさかい、日常の学習と保

護官の言動からさまざまなことを想定して、それを支えに生きていこ

うとする。

 しかし、物語が進むにつれその施設と子どもたちの存在理由が明ら

かにされていく。でもそれは文体とは反比例するかのごとく冷酷な事

実。

 子どもはどんな状況でも一生懸命考え、物事を悲観せず、こうまで

肯定的に生きていこうとするものなんだと、霧に包まれた現実が明る

みに出れば出るほど、切なくなってくる。

 と、こう書くと私たちと子どもたちが同じ土俵に立っているかのよ

うに思えるが、この小説は読み手と子どもたちは利害関係があるとい

う設定。人によっては「先端科学に求めるものがこういう子どもたち

だ」という立場に立てば、施設で「そういう存在の子どもたち」がア

イデンティティを求める姿なんぞ、否定しくなる。

 でも、それでいいのかなあ。利用されるために作られた命だからと

いって、その子どもたちはそんなことのためにそこにいるという事を

知らされず、知ったとしてもその理不尽さに苦しむ。利用されようが

されまいが、生命体として生きるという営みにおいてなんら違いはな

い。

 一方の快適な生命維持のために利用する存在を生み出す今の生命科

学のおぞましさをSFでなく文芸作品として昇華させたイシグロさん

の力は素晴らしい。
  
 
posted by ほたる at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

「国家の罠」 佐藤優 著

 面白い。

 実は一年以上前に図書館から借りて読んでいたが最後少しを残して

返却してしまった。読んでいるときに、たまたまその本について話し

た知人が「読みたいと思って検索したら貸し出し中だったのはほたる

さんが借りていたからね。」とおっしゃる。いつまでも手元において

いては迷惑をかけるので、また借り直して読めばいいやといったん返

却した。

 なのになんだかんだと借り直しが延びていて(普通こういう状態は

『忘れていた』という)、ようやく最近読み始めた。それすら貸し出

し期間延長までしているんだから、しょうのない人だ。前回借りたと

きにほとんど読み進んではいたけれど、せっかくだから最初っから読

み直している。

 数ヶ月前に彼の「獄中記」を読んだが、いったいこの人の脳みそっ

てどうなっているんだと思うほどの膨大な知識量・情報量とたゆまぬ

知識欲、並々ならぬ状況判断と処理能力。でいながら利己のためにそ

れを使わない。外務の専門官僚という特殊な仕事だったがためにそう

いう思考と行動をとるようになってしまったのかとも思うけど、とに

かくなによりも国益を優先するという生き方に圧倒されてしまった。

というかあきれてしまった。進化論に反するじゃないの。

 で、今回読みかけだった本を再読しているわけだが・・・

 今朝の新聞での書籍の広告に彼と鈴木宗男さんのツーショット写

真。書籍名は「反省」。このふたりのことだから反省猿のようにただ

謝るというような本を出すはずもない。

 当時関わった方々を実名、写真入りで登場させているらしい。発行

禁止仮処分になる前に注文して読まなくっちゃ。
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2007年06月14日

「月に響く笛 耐震偽装」    イーホームズ社長 藤田東吾 著

 今や過去のことのようになった感のあるマンションやホテルの構造

計算書改竄による耐震偽装事件。この本が当初は文芸春秋から出版さ

れる予定だった。しかし内容の一部を削除するよう求めてきた文芸春

秋に対し削除できないという藤田さんは、文芸春秋からの出版をあき

らめ自費出版にした。それが今冬、再び偽装が明らかになったアパグ

ループの報道をきっかけに講談社が出版を引き受け広くこの本が流通

するようになった。

 発覚当初はずさんな検査をしてという論調が多く、私も建築確認検

査の規制緩和の一環として民間委託された結果、効率とスピード化を

図り一件でも多く検査を進めて利益を上げようとした結果起きた事件

だと思っていた。が、国会での参考人招致の模様を見ていたときイー

ホームズの藤田さんの冷静かつ生真面目な答弁から、彼の伝えたいこ

とと報道にずれがあると感じ出していた。

 この本はある面、耐震偽装事件に関与した一人の人間のサイドから

の内容ではあるが、最後まで読み通したのは面白かっただけではな

い。本書「まえがき」で菊池寛(文芸春秋を興した作家)の出身地や出

身校と彼のルーツが同じであり、それは同時に私の出身と同じでもあ

った。あまりの奇遇さに「まえがき」を読んだだけで俄然読む姿勢が

違った。

 本文中でも数多く関わった人が登場してくるがある一人の翻訳家だ

けは出身高校が述べられておりそれが菊池寛と私の母校でもある。彼

自身は町田生まれの町田育ちなのだけれど、ずいぶんと思い入れがあ

ることがこういうところに現れていた。それは現在の文芸春秋の企業

姿勢に「言論の自由」を感じ取れなかったことの情けなさが裏返しで

もある。

 読後感としては、耐震偽装も年金保険問題、天下り問題もどれも似

たり寄ったり。官僚は何のために誰のために一生懸命お勉強をして公

務員になったんだろってことに尽きる。
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2007年03月28日

「空飛ぶタイヤ」

 決してSFではありません、フィクションとはいえかつて起こった似

たような事件を題材にした作品と言うのは読んですぐ気がついた。

 走行中のトラックのタイヤが外れて歩行者を直撃し死亡事故にな

る。いったんは運転手の過失、運送会社の整備ミスで片付けられるが

その後トラックの構造的欠陥である疑いが生じる・・・。つまり車メ

ーカーのリコール隠しに発展する。

 面白いのは車のメーカーも銀行も同じ系列で困ったときの銀行だの

みが常態化している。車メーカーでも銀行でも、事件に対して徹底し

て抹殺しようとする派閥と膿を出そうと奮闘する社員たちが暗躍する

のだが、どちらの人間も結局は社内の勢力争いと自己の出世が本意。

死亡した被害者の家族の思いや「会社」の社会的信義など微塵も持ち

合わせていない言動に唖然としながらも、マスコミに流れた当時の記

事とが重なって面白く読み進めた。小説の最後は現実の事件とはちょ

っと違っていたけれど、これまた登場した企業は「ああ、あそこだ

ね」って思えるところが、時代性を映し出していた。

 当初加害企業とされたトラック運送会社は小企業。それでも大企業

である車メーカーに立ち向かっていく社長の姿は痛々しくもあり、人

の信念はこうまで強くなれるのかと勇気付けられもした。

 久しぶりに娯楽小説で楽しめた。
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2007年03月05日

天空の蜂

 東野圭吾さんの作品だけれど、この著書を読む前に読んだ別の東野

さんの作品をブログに書こうと思っていつもパソコンの横においてあ

ったのについつい他のことを書いてしまい、その作品について書かな

いまま。おまけに次に読み出したこの「天空の蜂」を書くことになっ

てしまって・・・・。こんな裏話どうでもいいんだけどさ、やっぱり

この行き当たりばったりな選択っていうのが私らしいって思ってしま

った。

 さて、「天空の蜂」は文庫で買ったのでいつも鞄に入れてJRに乗

った時だけ少しずつ読み進めていた。でも残りページが少なくなった

ので今朝一気に読みきった。その最後の方にあった登場人物のせりふ

 「今の世の中、テレビの力は大きいからな。阪神大震災のものすご

さをいくら口で表現しようと思ても、高速道路が倒壊した映像にはか

なわん。逆に言うと、テレビで流しさえせへんかったら、後でなんと

でもごまかしようがあるということや。・・・」。

 まだせりふはちょっと続くんだけれど、この「テレビで流さなかっ

たらごまかしようがある」という言葉。実は昨日読んだベンジャミ

ン・フルフォードの『暴かれた9.11疑惑の真相』。なんとDVD

の付録つきでそれも昨日見た。

 2001年9月11日あのツインタワーに【旅客機】が激突する映

像が何度も繰り返しテレビで流れたけれど翌日か翌々日には一切流れ

なくなった。そのときテレビでは「子どもたちの心に相当なショック

を与えているということで流さないようにした」(アメリカで)と説明

していたが、実はその真意は・・・・というのがこの本には書かれて

おり、DVDはその映像を採録している。

 ツインタワーに激突したのは果たして【旅客機】だったのか?

 ペンタゴンの映像も事故当時ずいぶん流れたけれど、違和感が残っ

たことを思い出した。この本ではその「違和感」の根拠が、旅客機が

突っ込んだという国防総省の外壁の穴の疑問点として書かれている。

 地面すれすれでペンタゴンに突っ込んだ映像と1985年日航機が

御巣鷹山に墜落した事故現場の周辺一帯が真っ黒に焼け焦げた写真や

映像との違い。それが私の中にあった違和感だったのだと、DVDの

映像を見て納得。

 そうするとこの9.11の様相がずいぶんと変わってくる。そんな

本を昨日読んで付録のDVDまで見てしまった。で今朝読んだ「天空

の蜂」に似たシチュエーションでのせりふ。

 でも、この「天空の蜂」は1995年の作品だからこっちの方が古

い。登場人物に様々なことを語らせる彼の作品はどれも面白い。さて

書きそびれた方の作品もいつかまただらだらとここに書こうっと!
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2007年02月12日

古武術で毎日がラクラク!

 荻野アンナさんが甲野善紀さんの指導で日常に活かせる古武術の所

作を紹介している。

 スーパーの袋の持ち方とか段ボール箱の抱え方なんかは私も以前か

ら実践していた。この本にもあるけれど、甲野さんも荻野さんも、そ

しておこがましく私も、結局、体育が苦手なうえ体力も筋力ないとこ

ろが出発点。一般的に体力も筋力もある人ならいざ知らず、そうはい

かない人にとって考えることは、どうすれば非力なままでもできるか

ということ。そこに視点をおいて動きを探せばおのずと行き着く動作

は同じようなものになるみたい。

 そしてこれは合気道でも同じことがいえている。甲野さんの古武術

は合気道も取り入れているとあったから、「うんうん、やっぱりね」

とうなづける。

 でも甲野さんはプロ。様々な動きについて極めているし、理論があ

る。その理論を荻野さん独特のユーモアをふんだんにちりばめた文章

と無理のない体の使い方をイラスト入りで解説しているので、ついつ

い試してみたくなる。一人でできるものはいいんだけれど、相方のい

たほうがいい動きはそう簡単にはいかない。

 娘には何度も逃げられている。今日は同居人がいたので、「相手し

て」と頼むと「骨が折れたら困る」と言う。「私の身を案じてくれな

くてもいい」というと、「僕の骨だよ」

 会話が噛み合ってない・・・・・。
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2007年01月30日

「物は言いよう」 斉藤美奈子

 二年前に読んだ本だが柳沢伯夫さんのおかげで再読したくなって引

っ張り出してきた。柳沢さんに感謝、感謝。

 この本の趣旨はあくまでも『場をわきまえて』ってこと。彼女の言

うところのFC(フェミコード)。「プライベートな

ところでは何を言おうと、何をしようと勝手だが、社会的な場では社

会的なルールがあるの、だ」という。たとえばホテルの廊下を浴衣で

歩いたら顰蹙をかうって常識と同じレベルいうことらしい。

 人権意識がなくとも最低限の品格(昨年流行りましたこの言葉)があ

れば公的な場での言葉を慎めるだろうっていうのが彼女のこの書籍に

込めた思いなんだろうなあ。

 でも、結局は出るものなのよ、品格も人格も人権意識も。どれもそ

の人の血や肉になってないと目つき、言葉、行動なんかに現れるんだ

からさ。
 
 「子どもを一人もつくらない女性が自由を謳歌して、楽しんで、年

とって税金で面倒見なさいというのはおかしい」とおっしゃった森喜

朗さん

「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近い」とおっ

しゃった太田誠一さん

「強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔に

なってるやん」とおっしゃった西村眞悟さん。

 お仲間が増えましたよ!!
posted by ほたる at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月26日

≪いつもの朝に≫ 今邑彩

 決してこの時期に合わせて読んだわけじゃないけれど、聖書からの

引用があちこちにちりばめてあった。でも、本質は『宗教の教えに従

わずしても私たちは人を赦せるか』という問題に挑んだ作品。

 30年前の殺人事件の被害者は生前から「血筋が子どもに影響する

というよりも環境が影響するのだから、親が犯罪者であってもその影

響を受けない環境で育てられると血筋など関係ない」という信条をも

っていた。その本人が殺され、あるきっかけでその遺族が加害者の子

どもを育てることになる。どこか三浦綾子の「氷点」にも似た設定だ

が、氷点はキリスト教の教えが色濃く出ていたが、こちらはあえてキ

リスト教の教えによらずしての赦しが強い。

 中学生の子どもが「自分は犯罪者の祖父と父をもったのかもしれな

い」と出生の秘密に触れ苦しむが、育ての母親が血筋など関係ないと

語る。キリストの考えに則って言うなら、原罪を背負って生きていく

しかないが、この作品は「そんなものはその後の人生に大きな意味を

持たない」と示唆している。

 犯罪被害者の声が大々的にマスコミに取り上げられるようになった

今。犯罪被害者にも様々な人がいるけれど、その苦しみから逃れられ

るのはどいういうときなのかという点からもこの作品は一石を投じて

いるかもしれない。
 
 そういえば、死刑執行がされました。
posted by ほたる at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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