2009年03月16日

「朝日」ともあろうものが。 烏賀陽弘道著

 こういう物言いで朝日新聞社には記事について様々な評価や批判の電

話がかかってくることから、書籍の題に使ったという。

 読者が思い描いている「朝日」らしい記事の取り上げ方、社会の切り

口、論点の張り方などがあり、その思い描いているものと「ずれてい

る」と感じた記事が出ていると『朝日ともあろうものが・・・』という

気持ちから電話をかけてくる。

 筆者はその朝日新聞社の記者として17年間勤めたけれど、読者が思う

「朝日新聞」と現実の上司や会社組織の姿勢のずれ、そして筆者なりに

言論機関としての新聞記者として働きたい気持ちとのずれに息苦しくな

り、退職しフリーになったという。一体、何が筆者を追い詰めていった

のかと、読んでみた。

 特権意識と部下を育てる気持ちが組織としてない会社、ありきたりの

表現、結局は記事を書かすために人間の心を失わせてでも取材させるな

どなど、17年の彼の苦しみがひしひしと伝わってくる。でも、翻ってみ

れば一つ一つのことはどこの組織にもあること。だからいいんじゃなく

ってこういうものが育ちやすい温床というか風土がこの日本には多すぎ

るということなんだというのが読後感。

 「朝日」ともあろうものが・・・なんていうのは読者が勝手に作り上

げた幻想でしかない。そうだろうなと思う。でも理想があるだけに内部

の実情は悲惨に見える。酷いと思っていたら実態は意外と良いというの

ならまだ救いがあるけれど。

 本の最後にあった一節。

 「議論はする。が、行動には移さない。・・・朝日新聞社の人は改革

を論ずるのは大好きだが、改革を実行することには徹底的に臆病だ。自

由を論じることは大好きだが、自由に生きようとする人間を嫌う。」

 これ、「朝日」に限らない。そこにもここにもあそこにも・・・そこ

らじゅうにある風景。
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2009年02月26日

おくりびと

 映画の予告を見たとき似たような情景が脳裏にぼんやりと浮き上がっ

てきた。まさか大昔に読んだ「納棺夫日記」が原作の映画とはその時は

思わなかった。映画「おくりびと」のエンドロールで原作「納棺夫日

記」と流れたときに初めて知った。

 で、さっき新聞書評の切抜きを探ってみたらあった、あった。199

3年6月16日水曜日の朝日新聞。日曜日には多くの書籍の書評を載せ

るページがあるけれど、「納棺夫日記」の紹介記事は水曜日だったから

書評ではなかった。

 「富山で発行され、ベストセラーになった一冊の本が今、全国に反響

を広げている」という書き出しで始まっている切り抜きはすっかり黄ば

んでいた。

 改めて読み直してみて、北国で挫折を味わった元文学青年が新聞広告

を見て葬儀社に入社する。死はタブーであり、死者に関わる仕事は必要

でありながら仕事をしている人を忌み嫌うこの社会で二重の重荷を背負

いながら、一人ひとりの死と生を見つめ、この社会のゆがみをとつとつ

と語っている文章は静かな湖面でぽつんと小船がつきの光を浴びて漂っ

ているようだった。

 映画では主人公は東京でチェロを演奏していたが、故郷で葬儀社に就

職する。ふと疲れたとき川の土手で子どもの頃に使っていた古いチェロ

を弾く。なんだか宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」みたいだなと思っ

た。

 それもそのはず、原作「納棺夫日記」には宮沢賢治の詩「眼にて云

う」が引用されているとこの記事に書いてあった。書籍そのものに詩の

引用があったことを忘れていたけれど映画はこの引用を意識して主人公

をチェロ奏者にし、川の土手で東北の風景に溶け込むかのようチェロを

奏でるシーンを入れていたのだ。

 死と生が対立したり別世界のものではなく一つの流れの中でつながっ

ていると死者(または死にゆく者)が教えてくれていると賢治を引用し

て著者の青木さんは読者にメッセージを送っている。

 忌引きという言葉、葬式帰りに清めの塩をまくなど、風習としてある

けれど子どもの頃から意味がわからなかった私には青木さんの作品のほ

うがすんなりと受け入れられた。

 あの本、確か図書館に買ってもらったはずだけど、処分されてないか

とちょっと不安ながら図書館の書籍検索で調べてみたら、あった。しか

も貸出中。
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2009年01月22日

クロカミ 今井恭平著

 「国民死刑執行法」というあまり穏やかではない副題まである。

 「死刑制度は、国民の大多数が支持しているという理由で、その正当

性が主張されるのなら、執行を国民が行うということは、一番筋が通っ

ていますからね」というのは登場人物のせりふ。

 執行日の11日前に死刑執行員候補者召喚状が候補者に選定された女

性の自宅に届くところから話は始まる。彼女ら候補者は翌日に「出頭」

(この表現もまた穏やかではない)し、講義を受け面接を経て選考さ

れ、残った6人が法務省のセミナーハウスに移送される。法務省のセミ

ナーハウスなんて現実にもありそうな名前の施設に移送され最後のセッ

ションを受け、執行の現場へ。

 この死刑執行員もまた拒否できない。候補者が面接で何をいっても官

僚は「ああいえばこういう」で反論され、結局無力感を持ち受け入れざ

るを得なくなるところまで追い詰められる。なんだか似たような制度の

話を最近聞いたような気がする。

 クロカミは戦争中の赤紙をもじっている。似ているかも・・・。
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2008年10月21日

「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」 森達也著

 本を片手に吊革に揺られながら電車によく乗る。いつもはたった20

分の乗車時間でも電車が止まるたびに視線が電車の窓の外を泳ぐ。

 この本を読んでいるときは電車が止まると目的地に到着していて、開

いたままの本を手にして急いで下車することが度々あった。

 夢中というのではない。深く入り込んでいたというほうがぴったりく

る。

 森さん、彼がマスコミに登場したのは彼の意欲作(?)であるドキュ

メンタリー映画がなかなか世の中に認められなかったからともいえる。

見た人の評価はとても高いのに上映会に人が集まらない。それは世間の

誤解と人の狭量さによって。

 彼の作品のテーマがそこにあるだけになんとも笑えない話。

 この本の中にいつも私が口にしていることと同様の文章があった。

 「人は単独ではそこそこだけれど、組織共同体の一員となったとき

に、信じられないほど愚かになる。」

 いい人なのに集団になるとわ〜〜っと一方向に流れる。人のことは言

えない。私自身の中にもそういう要素はあると思っている。

 いい人なのにときと場合によっては違う顔を見せる。愚かなのに時々

どうしようもなく優しくなる。だからこそ世界は豊かで、人に期待して

もいいかなと心がほんわかしてくる。

 威勢のいい文章やらお腹を抱えて笑える話などどこにもない。美談ど

ころか切なくなる話のオンパレード。

 でもこんなに悲惨な世界だけれど、生きていてもいいかなと心が落ち

着く。

 実は彼の映画を見たくて見られなかったし今後も見るチャンスはなさ

そうだったから致し方なく著書に手を伸ばした。なぜ映画を見たいと感

じたのかが納得できた。だけどますます見たくなってしまった。

 これじゃ、映画を諦めきれない。
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2008年10月20日

決壊 平野啓一郎著

 ネット社会の落とし穴に入り込んでしまう危険性が他人事でなく、こ

んなブログを書いていることすら既に崖っぷちに立っていることなのだ

と背筋が寒くなる小説だった。

 推理小説かなと思わせるような記述があったりするので、ずっとこの

人が真犯人なんだろうかという思いから逃れないまま読み進んでいた。

おかげで深読みしなかったけれど、結末があまりに唐突で、読後宇宙空

間に放り出された気分。

 理屈では「人を赦せる」「赦せるはず」と思考を巡らすが、当事者に

なるとその理屈と感情に引き裂かれてしまう人間の弱さが痛々しかっ

た。よっぽど宗教に救いを求めるほうが思考停止できて苦しさから解放

される。だれかに下駄を預けて生きる人が後を絶たないのはこういうこ

となのだと・・・。

 宗教に救いを求めることもできないし、かつ危うさの中でしか生きら

れないのならパソコンなんかない生活のほうがよっぽど気が楽。

 と思ったけれどやっぱり今日もパソコンを開いている私がいる。  
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2008年10月15日

「白の闇」ジョセ・サラマーゴ

 ノーベル賞作家、ジョゼ・サラマーゴ原作「白の闇」が映画化され、

11月に公開予定。

 原作本を手にしてびっくりした。

 登場人物の会話なのに改行もしていないし、かぎ括弧もない。ただた

だ長いセンテンスの中に会話が入っている。誰の発言かは分かるように

していあるけれど、だらだらした文章(だと思ってしまったので)だっ

たら、読みづらいかもしれない。翻訳はそれだけでも訳者の力量があら

われる。映画化されるから映画で見てもいいし・・・と安易なほうに流

れそうだったが読んでみたら、面白かった。

 ページをめくってもめくっても何行にもわたる文章がただあるだけな

のに内容がすさまじい。

 ある日突然、一人の男性が視力を失う。その男性と関わった人たちが

次々と視力を失う。しかも目の前が真っ黒ではなく真っ白になる。霧の

中をさまよっているような白の闇。

 どの登場人物にも名前がなく「眼科医」「その妻」「若い女」「最初

に視力を失った男」などと言い表される。名前に意味のない世界。名前

があったとしても他者には姿も見えないし、アイデンティティは本人に

は大切でも他者から見れば吹けば飛んで行きそうなくらい軽いというこ

と?

 政府は視力を失った人間を施設に隔離するが、感染力が強くあっとい

う間に満杯。そしてそこで目の見えない人たちのすさまじい権力闘争が

始まる。

 実は、視力を失った眼科医が隔離されるときにまだ目が見えた妻は自

らも視力を失ったふりをして一緒に隔離されるが、不思議なことに彼女

は最後まで視力を失わず、彼女の目を通して情景が淡々と述べられる。

 何故、彼女だけが失明しなかったのか、未だもって分からない。

 この作品、目の見えない人が読んでどう思うだろう?ということもず

っと気になっていた。

 一筋縄ではいかないものが秘められていて、そこに石を投げ入れる作

者だからノーベル文学賞を受賞したのかもしれない。
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2008年10月13日

「平和憲法」を持つ三つの国 パナマ・コスタリカ・日本 吉岡逸夫著

 この書籍ともう一冊が図書館に備えられていた。

 もう一冊は「戦争する国、平和する国」こちらは「ノーベル平和賞受

賞者現コスタリカ大統領オスカル・アリアス・サンチェス氏と語る」小

出五郎著。副題にあるように大統領へのインタビューをまとめている。

 一緒に二冊を借りてきて読み終えた。

 で、後から読んだこの吉岡さんの本は、現地の人を何人か尋ねてイン

タビューしてまとめている。でも取材には小学生の娘さんも連れて行

き、文中ところどころ子どもに解説をするという形で時代背景や制度な

どを説明している。

 その吉岡さんの著書を読んでなぜ、私が中南米を魅力的と思ったのか

が、うまく書かれていた。

 率直に言ってしまえば、ヨーロッパや中国のような長い文明に基づく

伝統が薄い。だから人間をがんじがらめにするかもしれないような伝統

にとらわれにくい。イスラム教はそれほど浸透していないので禁欲的で

もない。なんたってラテン系です。自然が豊かでアフリカのように乾燥

していないので飢餓がない。

 パナマもコスタリカも一人ひとりの国民にインタビューすればそれは

いろいろ。でもなべて人が穏やかで、争いを好まない傾向があるらし

い。だからこそ、軍隊を捨てたかったし、捨てることに成功できた。そ

して周辺国にも軍隊を捨てようよ、捨ててみようよと呼びかけた。これ

が「とがった」国に呼びかけようものなら「内政干渉」と憤られるのか

もしれないけれど、周辺国もそういうぎすぎすした国民性でもないらし

い。ラテン系だね。

 アリアス大統領の話は多岐に渡ってコスタリカが進む方向を述べてい

るし、政治家ならではの理想論もあるけれど、読んでいて息が苦しくな

らない。それは宗教でもなく統治のためでもない政策が語られているか

ら。

 中南米は日本からは遠く、利害も少なく結びつきは薄いかもしれない

けれど、友好国になれるときっと教えられるところはいっぱいあるよう

な気持ちにしてくれる2冊でした。
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2008年09月28日

『錦』 宮尾登美子

 実は宮尾登美子さんの作品は初めて読んだ。
 
 彼女の作品を読まなかったのは避けていたというより時代が古くて内

容を読んでいると気持が暗くなりそうな気がしていたので手が出せなか

っただけのこと。

 今回「錦」に食指が動いたのには理由がある。

 小説の織物業界に革新の風を吹き込んだ主人公のモデル菱村吉蔵は実

在の人で龍村平蔵という。彼の興した会社「龍村美術織物」は今も京都

で健在。
 
 5年前に京都へ行ったときに「織寶苑庭園」が秋の特別公開になって

いた。この庭園は非公開でこれまで見るチャンスがなかったが、当時、

突然京都へ行くことが決まって下調べをしていて、特別公開になってい

るのを偶然発見した。山縣有朋の別荘「無隣庵」と併せて見た。

 池泉回遊式庭園で後背の東山を借景としているので広がりを感じられ

る。拝観者は多かったけれど、たっぷりの時間をその庭園で過した覚え

がある。

 この庭園の現在の持ち主が龍村美術織物。そしてこの龍村美術織物を

起こした龍村平蔵こそが「錦」の主人公。

 庭は龍村が作ったのではなく明治時代に南禅寺界隈を宅地開発した実

業家塚本与三次だから、その後何かの縁があって龍村美術織物が所

有することになったらしい。

 庭園を堪能して外に出るとなにやら帯とかタペストリーとか着物用の

バッグなどが美しくディスプレーされている建物が目に入った。それま

でこの庭園が企業の所有だとは知らなかったし、その企業が龍村美術織

物という名前であることも知らなかった。

 それでも正倉院御物をくるんでいた布やシルクロードを渡った絹織物

を再現した織物は重厚で見ていて飽きなかった。正倉院展を京都で見て

いる気分だった。

 高価なものは買っても使わないし使えないので携帯のストラップを買

って、今はカメラにつけている。

 カメラを使うたびに龍村美術と織寶苑庭園のことを思い出す。

 で、宮尾登美子さんの小説の書評を目にしたときに龍村の名前あり読

むことにした。

 菱村吉蔵は織物の世界に足を踏み入れたとき帯から出発しながらも従

来の織では満足せず、新しい織を探求する。そして同業者からのねたみ

と贋作・模倣に苦しめられるもののそこにとどまらず、誰の追随も許さ

ない分野へ挑んでいく。

 正倉院御物をくるんでいた絹織物やシルクロードで発見された絹織物

の再現への情熱へと苦しみを転換させてからの吉蔵の姿が鬼気迫る。シ

ルクロードをたどった絹織物を再現するため、糸一本、色一色にすらこ

だわる姿が鬼気迫る筆致で書かれていた。

 5年前は龍村美術の作品の素晴らしさに驚いただけだった。それが、

小説で語られた古代絹再現への執念の結果があそこに展示されていたと

思えば、かえすがえすも残念。無知なまま見たのではどんなにいい作品

があってもただそれだけ。

 また、チャンスがあれば織寶苑庭園と龍村美術織物に触れてみたいと

願いながらページを閉じた。
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2008年09月13日

「コーランを知っていますか」 阿刀田高

 誰が買ったのかそんな名前の文庫本が棚にあったので読んでみた。こ

れが結構面白い。

 文中にもあるけれど、世話焼きのおじさん(アラー)が若者に世渡り

を教えている感じ。でもって世話焼きのおじさんは自分の一番の師弟

(預言者マホメット)をいろいろな面でサポートするようなというか、

かばうような話までコーランにいれてある。どれだけマホメットがアラ

ーにとって存在価値が高かったのかがよくわかる。

 イスラム教信者数が広がっていると小耳に挟んだけれど、なんだか分

かる気がした。

 それにしても女性の主体性を感じないのは読み手の私が女だから??
 
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2008年09月10日

「ペルセポリス」

 イランの女性が書いた自伝漫画。

 実はこれ、映画化され春から夏にかけての頃に上映していた。予告を

見て面白そうだったのだけれど行きそびれてしまった。

 最近原作の漫画があると知り市立図書館で検索してみたら、あった。
 
 イランに生まれたマルジはちょっぴり裕福で革新的な両親に育てら

る。小学生のときにイラン革命がおこり、男女別学・そしてヴェールの

着用を義務づけさせられる。宗教云々よりも何よりもいままでいっしょ

に学んでいたのに分ける理由がわからない。ヴェールなんて鬱陶しいも

のを着用しないといけない理由がわからない。

 夜、布団にはいると彼女の傍には神様が現れてマルジと会話をする。

 イランイラク戦争で友達が亡くなる。劇的な人生にあこがれていた

ら、劇的な人生を送っている叔父が家にやってくるものの、警察に連行

されそのまま拷問されて死亡。
 
 イランではのびのびと生きてはいけないという理由で両親はマルジを

オーストリアに留学させる。小学生だった頃に心の支えとなっていた神

とはあることがきっかけで決別していた。次に彼女の支えになったのは

祖母。世代はずっと上だけれど「公正に生きていくこと」をヨーロッパ

に旅立つ前にマルジに話す。

 ウィーンではイランにはなかった自由を知る。言葉の壁も乗り越え、

学業もしっかりと修める。そして恋愛もしドラッグも知る。

 自由の楽しさと背中合わせの落とし穴にも落ち込む。そしてまだ国内

政情が不安定なイランに帰国。

 両親や祖母との生活が再開する。美術に興味があったのでアートの大

学に入学するものの、今度はヨーロッパの自由を知ってしまったマルジ

は違和感を持ってしまう。それから逃れるためかのように結婚もするけ

れど、すぐにすれ違いがくっきりと・・。

 そして再びヨーロッパへと旅立つ。

 いろいろな場面で辛いことにであったときマルジは祖母の言葉を思い

出す。そうすることで彼女は一人の寂しさと闘えた。

 神は空想の産物だけれど、祖母は確かに目の前にいる。近づけば暖か

いし膝に頭を乗せることもできる。

 本当に人を支えてくれるのは宗教よりも人間なのだということをマル

ジは祖母の存在で知る。

 この漫画はイランという宗教国家を知ることができたのもよかったけ

れど普遍的な人の成長物語としてもとても面白かった。
 
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2008年08月10日

集団訴訟 セクハラと闘った女たち

 映画「スタンドアップ」の元になった実話の記録。

 鉱山に就職した女性ロイスが直面した下品で粗野で女性蔑視のセクハ

ラの数々。

 ひとりで会社幹部に苦情を言うものの無視される。それでもシングル

マザーとして子どもを養っていくために耐え忍んで勤務を続けるが、つ

いには弁護士を立てて訴訟に挑む。

 集団訴訟を阻止する会社の手口の悪辣さ。会社を訴えたことで職場で

孤立し、嫌がらせもあり、薬が手放せなくなるロイス。

 映画でも裁判で原告個人の過去が洗いざらい調べ上げられ、法廷で暴

露され、いかに問題の多い人間であるかと強調され、傷つく原告女性た

ち。

 金と力を持つ相手に個人が立ち向かうとこんなにひどい目にあうんだ

ぞとさらし者にする企業のすさまじさ。

 さらにぞっとするのは判事までもが女性差別者というかミソジニスト

(女性嫌悪者)で被告の会社が度を過ぎた個人攻撃をし、原告弁護士が

異議を申し立てても却下の連続。

 上訴して風向きが変わり、原告勝訴を勝ち取る。

 この裁判、実に1987年から1998年までかかっている。

 ロイスたちの裁判があってセクハラが「揶揄」の言葉から「人権問

題」という意識が広がり、職場環境が整うきっかけになったことは感謝

しないといけない。

 でも、10年かけないと理解し得ないってどういうことなんだろ?

 弱いものは黙っていれば可愛がってやれるが、ひとたび刃向かえばそ

の主張の内容如何よりも何よりも徹底してつぶしにかかる。10年も闘

えた女たちの意思と覚悟が光るが、受け入れない男性社会の意地汚さも

暗黒星雲のようで不気味。

 映画と小説。よくあるのは映画はよかったがノベライズ本は・・・・

とか、逆に小説はよかったのに映画がちょっと・・・ってケース。

でも今回は映画だけでは見えない部分が小説で事細かく描かれており珍

しく両方とも私にとっては参考になった。

 余談  弁護時費用も並ではないし、損害賠償金も日本とは一桁どこ

ろか二桁も違う。訴訟社会アメリカのすさまじさはここにも垣間見られ

る。
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2008年07月07日

「ビューティー・ジャンキー」 アレックス・クチンスキー著

 副題 美と若さを求めて暴走する整形中毒たち

 人が若さと美を求めるから美容整形が誕生したのか、美容整形がある

から人が美と若さを求めるようになったのか・・。

 ニワトリと卵を考えてもしようがないかもしれないけれど、今のアメ

リカはどっちもどっち。 

 著者は、美容整形を施している医師と美容整形の患者(というより消

費者)の双方を丹念にインタビューしている。

 つまるところ商売として金になる美容治療は保険の面倒な手続きもな

い。とにかく、宣伝で消費者のニーズをつかみ、様々なメニューを提供

し、継続してからだのいたるところに手を加え、メンテナンスを施すこ

とで巨利を得る。

 消費者はより若く、より美しくならないといけないという強迫観念か

らとどまることを知らないように整形を繰り返す。

 しわのない顔をつくるためにボトックスを顔の筋肉に注入する。笑っ

てもボトックスを入れたところは変化しない。どんなに年を重ねてもつ

るつるの肌。

 ジュリア・ロバーツのような頬を作るためにフェイスリフトをする。

どの人も似たような顔つきになり、遠方からだと夫にも見分けがつかな

い。

 200キロの体重を減らすために脂肪を吸引し、胃のバイパス手術を

する。でも、それでは整形は終わらない。一度伸びた皮膚はそのまま

で、一気に100キロ以上も体重が減るとたるんだ皮膚がひだを作って

たれる・・・。妖怪人間みたい。それをまた切除したり縫い縮めたり。

 あるわあるわ、いろんな整形が・・・。と驚いている私は世間知らず

だった。今の日本でも美容整形は隆盛を極めているとか・・・。

 著者のアレックスもインタビューし、驚き呆れるが、整形を試してみ

た。決して自分は溺れることはないだろうと確信しながら・・・・。結

果は依存症になってしまっていた。

 中毒、依存症を抱える人一人ひとりは(それがアルコールであれ、ニ

コチンであれ、ギャンブル・買い物・パチンコなど何であれ)心に隙間

があり満たされず、誰かに認めてもらいたい、愛されていたい、ほめら

れたいという願望にとりつかれている。

 そこから解放されない限り、何をしても満足は得られない。

 欲望を刺激されっぱなしのアメリカ社会のおぞましさを垣間見ること

が出来た。
 
 先週のいつだったか、昼のニュースを見ようとテレビのスイッチを入

れたらまだニュースの時刻には早かった。

 番組はメイクアップアーティストらしき人がモデルさんの顔を作りな

がらお化粧のコツについて話していた。丁度、この本も読んでいる最中

だったのでついつい見てしまった。

 モデルさんの出来上がった顔を見ながら、平日・昼前の時間帯、誰を

ターゲットに制作された番組かと考えた。

 私の主観からすると相当濃い化粧だった。

 料理番組をするとその日のスーパーではその料理番組で使われた食材

が飛ぶように売れるという。

 ならば、このお化粧番組のあとスーパーにいくとモデルさんのような

厚化粧の人に出会えるかと期待して午後出かけてみたけれど、いつもと

変わらずナチュラルでした。

 日本の美容整形もどういう売込みをしてどれくらい費用をかけさせる

のか、研究してみるのも面白いかもしれない。
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2008年06月13日

ケータイ・リテラシー

 携帯電話の問題点(特に小・中・高の子どもたちが携帯電話を所有す

る危険性)について警鐘を鳴らしている下田博次さんの書籍が、図書館

にあったので早速借りてきた。

 読み始めると、先日の秋葉原での事件発生。翌日あたりから下田さん

が取材を受けてテレビに出ていた。

 携帯電話をもつことで被害者になる可能性が高い「子どもたち」、そ

の背中合わせに存在するのが加害者になる大人の存在。それが今回の事

件と関連付けられて彼への取材になったみたい。

 ずっと以前から私自身の活動でもやたらと「子どもの安全・防犯」で

携帯を持たせて親が安心を得られると思っている大人たちが多くてそれ

こそ危険だと思っていた。

 でも、私は携帯をもっていないので一体どうやって携帯で援助交際が

出来たり、ネットで有害有料サイトに行ってしまって法外な金額を請求

されるのか判らなかった。

 実は下田さんのNPOが作っているサイトではその疑似体験が出来

る。携帯電話をもっていない人や持ってはいても子どもたちのような使

い方をしない人は体験してみるといいなって思った。

 「なるほど〜、こうやって危険が忍び寄ってくるわけだ」と感心する

とともにこれを大人たちが知った上で持たせるかどうかを考えないと

「安全・防犯」のためが「危険・犯罪被害者の落とし穴」のふちに子ど

もを立たせてしまうことになる。そのケースのほうが防犯で役立つ場合

より格段に多い。

 企業の宣伝と漠然とした不安に振り回されてその裏にあるものに気が

つかないと、この社会で踊らされるだけになってしまう。生きるのも大

変だわ。 

 よろしかったら下田さんたちのねちずん村のサイトへどうぞ。 

http://www.netizenv.org/top.htm

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2008年02月12日

「風が強く吹いている」

 ひょんなことがきっかけで寛政大学の男子学生ばかりが下宿してい

る竹青荘に下宿することになった蔵原走(くらはら かける)。

 ところがどっこい、走に声をかけた清瀬は数年がかりで竹青荘に走

れそうな学生を集め、食事を提供して、仲間意識を高めて、10人ぎ

りぎりで箱根駅伝に出るチャンスを伺っていた。

 竹青荘の最後の空室に入る一人として見出された走は生まれながら

に走ることが呼吸するのと同じくらいに自然なことという元高校陸上

選手。ただただ走ることが好きで走るために高校時代、陸上部に所属

する。しかし、そこには選手を管理し競争に勝つためのトレーニング

を強いる監督と集団の意思に従わそうとする他の部員ばかり。その軋

轢に耐えられずに、高校陸上部をはじき出されたアウトローというレ

ッテルを貼られた走。

 高校時代のトラブルではじき出されて陸上部などろくにない寛政大

学に入学した走。好きだからひたすら走っているんだという走の姿勢

に共感できる。部に所属せずただ走るために走ることを選んだつもり

なのに・・・・。清瀬の目は走の走りを見逃さなかったってわけで、

ここから物語が始まる。

 走と清瀬の二人とが主人公かというと、そうじゃない。他の学生も

大家もさりげなく自己主張しているから、物語が面白い。

 なんといっても作者の三浦しをんの文章が生き生きしている。

 緩急のつけ方、文章での間合いのうまさがとても冴えている。それ

は「まほろ駅前多田便利軒」でも感じた。そして何よりも走るという

行為を哲学にまで昇華して表現している。

 陸上に関心のない人にお勧めの本ですね。
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2008年01月31日

「甲野善紀身体操作術」DVD付き

 図書館の新刊のコーナーにあるのを見てびっくりした。

 12月に東京は渋谷の小さな映画館「アップリンク」でマイナーなド

キュメント映画を見たのだけれど、そのカウンター横の書架にいろん

なドキュメントのDVDをおいてある中なぜか本が一冊あった。それがこ

れ。

 手にはしたものの書籍としてはそれほど中味がなくDVDつきで良いお

値段だったのですぐ元の位置に戻した。

 その記憶が蘇ってきたので図書館でさっそく借りた。DVDは面白かっ

た。

 合気道とつながるとつくづく感じた。それどころかDVDには合気道

(私がやっているのとはおそらく違う流派)の研修会に講師で実演し

ているシーンもあった。合気道は一応技が完成しておりそれを学ぶと

いう感じなのだけれど、甲野さんの武術は日進月歩。どんどん変化し

ている。でもこれはふつ〜〜〜の人にはとても追いつけるものではな

い。

 甲野さんもどうやら若い頃には様々な武術を体験していたんじゃな

いかなあ。柔道、剣道、合気道、居合などなど。それらを総合させて

創作武術のような分野を開拓してるんだということらしい。

 おまけに合気道もそうだけれど、頭で理解しても体が動かない。

「身体操作術」という表現も「自分の体を自分の思い通りに動かせ

る」という誤解を生むかもしれない。でも、違う。どの所作も自然な

動きにならない限り、甲野さんの動きも合気道の技も会得できない。

合気道でもそうだし、このDVDで研修を受けている人たちも皆そうなん

だけれど、頭で理解しようとしている。

 判った!そういうことなんだ!ってなるけれど、いざやってみると

できないんだわ。

 ん〜〜〜〜〜、道は長いというかゴールがない。






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2008年01月06日

松岡利勝と「美しい日本」

 朝日新聞社刊 長谷川煕著

 もうすっかり過去の人になってしまったけれど、彼の事件のあと

「死人にくち無し」と言った人がいたなあ。

 癒着と税金の私物化という点では彼一人の問題じゃない。

 それにしても私の出身県も相当農林省とは縁が深いよう

で・・・・。両親の自宅の近くには○ハムのオーナーの自宅もある

し、知事は農林関係出身だわ。

 
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2007年12月30日

「H5N1」 岡田晴恵著

 強毒性新型インフルエンザウィルスが日本に上陸したら今現在の体

制ではどういうパニックになるのかをシミュレーションした小説。

 娯楽性というよりもいろいろと考えさせられた。

 1900年代の流行したスペイン風邪は4000万から1億人が死

んだといわれているけれど、今ほど人も物も大量高速輸送される時代

には至ってなかった。現代は国際社会では航空機での移動が簡単かつ

迅速になり、国内では公共輸送機関も発達しているから、たった一人

の人間でもウィルスに感染して発症していなければウィルスをあたり

まわず撒き散らす。
 
 海外に開かれる空港は国内でまっさきに感染を予防すべきだけれ

ど、発症していない感染者を発見するのはほぼ不可能。それでいて発

症前が一番感染力が高いというのだから空恐ろしい。

 静岡も空港ができる予定だけれど、どうやら東南アジア諸国との便

に力を入れたいと思っているらしい。検疫体制をどうするかなんて考

えるよりも何よりも、とにかく路線を確保して客を集め、静岡の物産

を東南アジアに売り込みたいらしいけれど、それが効を奏するよりも

前に新型インフルエンザを持ち込んだ空港で名を売ったりしたら、大

変だわ。
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2007年12月28日

プリンセスマサコ

 一年以上前に出版される予定だったこの書籍。著者に対して宮内庁

が反発したため、出版を見合わせていた。

 今秋に出版されていたものを今回読んでみたけれど、これと言って

取り立ててサプライズを感じるものはなかった。

 とりあえず、噂の域を出ない話をそれなりに周辺の人たちにインタ

ビューをして裏づけの取れたものに著者の主観的な形容詞で飾って仕

上げた本という感じ。

 離婚させて男児を設けてもらうという選択肢を宮内庁は考えたこと

もあるらしいがそれは皇太子が雅子さんを好きなのでできないという

件はまさにこの問題の象徴で、雅子さんの意向は一切考慮されないっ

て事なんだと、再確認。あ、それとも彼女が皇太子に好意を抱いてな

いのは周知の事実ってことなんかなあ。

 それにしても制度や伝統優先で物事を勧めると人の気持って阻害さ

れるんだよね。それに気づかない人って・・・・。

 やれやれ、象徴っていうのはこういう面で日本の情けない面が象徴

的に示されてるってことだとつくづく思ったわ。どの人も気の毒。
posted by ほたる at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

世界がキューバ医療を手本にするわけ       吉田太郎

 マイケル・ムーア監督の「シッコ」で取り上げていたキューバの医

療現場。マイケル・ムーアはドキュメンタリーの手法を取り入れてい

るとはいえもともと自分が目指す方向性にのっとって映画を製作して

いるから、それなりに色眼鏡の部分もあるんじゃないかと思った。

 で、この本が新聞で広告に出ていたので読んでみた。

 シッコではキューバ国内で医療福祉がどれだけ優れているかを取り

上げていたが、この本は国内のみならず、よりグローバルな視点が加

味されていた。キューバ医療援助隊は世界の被災地に出かけて行って

は医療を無料で施す姿が詳細に述べられている。患者本人からお金を

取らないのは当然としても、支援先の国からも一切の資金援助なし。

すべてキューバの国費。しかも支援で運んだ医療機器は支援先に残し

ていく。機械だけ残されても使えなければただの箱になりかねない。

そこもきっちりとキューバの医師が引き上げた後も現地の人が医療行

為を継続できるべく人材を育てているというのだから、舌を巻く。

 薬も経済制裁で輸入できず、国家が研究して薬を作り安い薬価で販

売している。これはシッコにも描かれていたけど、医療で儲けようと

することが間違っているわけね。

 「あのアメリカ」でもキューバ医療を取り上げた番組があるそう

で・・・。(こういう懐の大きい面もアメリカにはあるんだよねえ)

その中でアメリカのメディカルスクールの女子医学生がキューバの女

医に聞いたそうな。『金銭的なインセンティブがないのに、どうして

医者になるのですか』と。返事は『医師はビジネスではなく職業で

す』

 キューバって経済制裁で貧困国だし、国家予算だって限られている

んでないの?と疑問がわくけれど、南米の産油国ベネズエラと親交を

深めずいぶんとベネズエラから資金を得ているらしい。

 他国のお金を充てにするっていうのもどんなものかと不安が残るけ

れど、お金以上のものをキューバがベネズエラに提供しているから心

配ないって事なんかねえ。

 それは横においといても、社会体制の違いもあってなかなかキュー

バの話は見聞きするチャンスに恵まれなかったけれど、医療の原点が

あるなと感心した次第でした。
 
posted by ほたる at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月27日

モリー先生との火曜日

 大学時代の恩師モリーがALS(筋萎縮姓側索硬化症)に侵されて

いることを知った筆者ミッチ・アルボムが16年ぶりにモリー先生と

再会する。以来毎週火曜日には恩師を訪ね人生について語り合う。

 徐々にできることが制限されるようになる病に対抗せずその状態を

受け入れていくモリー先生の姿がすがすがしい。

 頑張れという言葉のない二人の間の語り合いは人生の意味を深く掘

り下げていく。

 毎日ただただ働くことに夢中で(それはそれで仕方ないとも思うの

だけれど)どんなに稼いでも満ち足りた気持に決してなれない。現代

の文化が誰かと自分を比較して優越感に浸らせ、惨めな思いにさせる

ことでマーケットを活性化している。それに翻弄させられていること

に無自覚でいる限り心はいつも貧しい。

 モリーはかつての生徒と語ることでそれを伝えようとする。

 見舞いに来る人は多くの贈り物をモリーから得る。

 映画化もされたし、何年か前にはテレビでもドキュメント風な番組

が放送されたと記憶している。

 通り過ぎる映像よりも幾たびも読み返せる文字は、余計な装飾がな

く、言葉の重さそのものが心に余韻として残った。
posted by ほたる at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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