2011年06月23日

不惑のフェミニズム 上野千鶴子

 久しぶりに上野さんの本。いつの間にか彼女は大学教授を退官

されていた。時々アクセスするNPO法人のサイトにド〜ンと彼

女の顔写真と理事長就任あいさつがあり、末尾に今年三月に退官

したとあった。なんとも感慨深いけれど、まだまだ彼女のエネル

ギーは退職後ののんびりした生活では持て余しそう・・・という

わけで在野の研究者としても今後の活動には期待したい。

 この書籍は40歳を迎えた「フェミニズム」の歴史の流れの中、上

野さんが雑誌、冊子、新聞等に発表してきた文章を時に時系列に、

時にテーマごとにまとめている。

 8年ほど前に彼女の講演会最後に彼女が「女性学年報」を手にし、

紹介して販売促進に貢献していた。彼女らしく「行商しています」

と口にしていたが、とても好感が持てた。

 権威になることへの警告も彼女は自らの行動で示していたからこ

そ、行商をして下支えするのだということ。勘違いされがちなフェ

ミニズムと先頭を走り東大の大学院教授という肩書きがさらに彼女

に「権威」のラベルを貼ってしまう。

 それでも、彼女はそれに抗し、行商もさりげなくやってのける。

もちろん聴衆は「東大教授が言っている」というマナザシでみてい

るのだけれど。

 この本にも彼女が行商をした本意が記されていた。育てるのは何

年もかかるけれど、崩壊するのは一瞬。そうやってつぶれていった

モノは山ほどあるだけに、彼女は権威として物申す代わりに行商を

して支えたという。そんなこともさりげなく掲載されていて、概し

て硬い彼女の書籍とはちょっと違った感想も持てた。
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2009年12月22日

人権で世界を変える30の方法

 偏って本を読む悪い癖がでてしまって、借りてきた本。

 それでも新しいことに出会えて嬉しい気持ちになった。

 1948年12月10日に国連総会で加盟58カ国中48カ国の賛成

で採択された「世界人権宣言」誕生秘話なるものが紹介されていた。4

8カ国とはいえ反対票を投じた国はなかったから、実質趣旨には全加盟

国の賛成が総意と捉えてもあながちずれてはいないと思っている。

 その世界人権宣言の起草作業を担った国連人権委員会。

 その委員会の委員長にアメリカ32代大統領フランクリン・ルーズベ

ルト(彼は国連創設を第二次世界大戦中に唱え、終戦前の1945年2

月に病死している)の妻エリノア・ルーズベルトがすわった。

 既に故人とはいえかつては大統領の妻、しかも学者でも弁護士のよう

な専門家でもない彼女がなぜ国連に関わったのか。当時のトルーマン大

統領が彼女のアメリカ国内での人気を恐れて国内に留めておきたくなか

った。国連という外交の場で動いてもらえれば、トルーマンにとっては

「我が身安泰」という思惑があったためにエリノアは国連に関わること

になる。な〜〜んだと思わないでもないが結果としてそれが幸いした。

 彼女自身、女性として差別を受けた体験から人権の必要性を感じてい

たので国連で人権委員会の関わるのに戸惑いはない。

 さらに、私たちにとっても〈たなぼた〉だったのは、他の人権委員会

の委員たちも「学者や専門家よりもごく普通の人たちの感覚を理解し、

女性としての差別を深く感じている当事者が適任だと判断されたため彼

女を委員長の椅子に座らせた。

 これが幸いして世界人権宣言は社会変動にも変更される必要のないほ

どに人権を網羅している。

 資本主義国が主張する「自由権のみが人権だ」という声だけでなく社

会主義国が主張する「社会権も人権に含めるべきだ」という意見をも彼

女は深く共感し、世界人権宣言の22条から26条に取り入れた。

 日本国憲法の草案に20歳の女性ベアテ・シロタ・ゴードンがカミン

グアウトしたときも驚いた。彼女は、日本の女性が同じ女性でありなが

ら底辺に置かれていたことに心を痛め、女性の人権保障を憲法に盛り込

もうとして奔走した。

 エリノアの動きにもこれに通じる。

 アメリカ女性は弱者の立場に立たされた人たちへの共感から行動へ移

すチャンスを捉え、権力に阿ることなく権威に酔うことなく仕事を果た

す人たちが多い。

 私のノートにはエリノアが加わった。
 
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2009年11月02日

現職警官「裏金」内部告発 仙波敏郎著

 どうやら世で間は今読書週間らしかったけれど、私の日常も読書週間

化しているように、せっせと本を読んでいる。これもいつまで続くや

ら・・だけれど。

 裏金問題は彼が告発した前後、あちらこちらの警察のみならず自治体

でもマスコミに取り上げられていた。内部通報者保護も法的にされるよ

うになったからだろうけれど、それでも氷山の一角かと思えるほどの、

組織優先のからくりがこの本には満載。

 たったひとりだけで裏金作りの白紙領収書への記載を拒否し、短期間

での転任を強要される。昇任試験合格と領収書記載がセットになった任

用制度のため、途中で受験をすることもやめ定年まで巡査部長。

 組織の非情さと対照的だったのが、家族、彼の告発直前から彼に関わ

りだした弁護士、知人の支援。告発を察知した県議がとある人物を紹介

して告発を止めようとしたが、逆にその人物は告発の背中を押す。彼は

仙波さんが孤立していると聞くや、ランチタイムには10キロ離れた自

宅から毎日警察の食堂に通い仙波さんと食事を共にする。

 裏金つくりと拒否した者への報復のすさまじさよりも、周囲の人たち

の理解と支援の話のほうに感動したが、それは不正と報復は当たり前の

社会で珍しくもないけれど、孤立した人を支える姿は今や稀な減少だか

らなのかもしれないと思うと情けない。

 彼の告発後、裏金の原資となった警察庁の捜査費や検察庁の調活費な

どは激減した。

 それだけでも一歩は進んだ。
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2009年11月01日

原発と地震 柏崎刈羽「震度7」の警告

 新潟日報社特別取材班が2007年7月16日の中越沖地震直後から

連載を始め2008年度日本新聞協会賞を受賞したルポが書籍化され

た。

 地震震災だけならまだしもタブーの地震と原発に地方紙が挑んだとい

うだけでも喝采もの。

 原発の安全審査を行う原子炉安全専門委員会では活断層の専門家とし

て呼ばれた東大助教授(当時)が辞意を表明。なぜ?

 原発の土地取得にまつわる田中角栄の影。お金はどこへ?

 決して「老朽化」という言葉が存在しない原発の世界。

 どきどきするような話の展開にフィクションの小説を読んでいるのか

と錯覚してしまう。

 いえいえ、これ現実に存在する原発と現実の起こった地震とのコラボ

レーション危機。

 それでもあくまでも動き出した政策は止まらない。騒いでも時がたつ

のをじっと耐える・・、これじゃまるで演歌の世界。

 そうか、私の苦手な演歌が日本で人気なのはこういう世界で生きる人

たちの心情に重なるからなのかと、納得してしまう。

 原発推進に不利なデータは存在しないし、そういう議事録も存在しな

いことにされてしまう。「どこにでもある話」で諦めずに議事録を発見

した取材班。

 こうしてルポが書籍になったからといってどこかで原発が止まったと

は聞かない。そして過疎地に原発をお願いしている意識もなく都会では

電気がついて当然の生活が続いている。
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2009年10月13日

「ハチはなぜ大量死したのか」

 何度も図書館から借りては来るものの忙しくしていて結局読まないま

ま返却を数回繰り返していた。先週の講演会を終え、一段落ついたので

ようやく手にして読み始めた。その段階でもう一つの読めない理由にも

気がついた。

 表紙のハチの写真。昆虫は子どものころよく採集していたので触るの

も平気だけれど、この本の写真はハチの頭部の写真が大きく引き伸ばさ

れていて、さすがのわたしも怖気づいてしまった。これがこれまでの借

りてきても忙しさを理由に読まないままにしていた一因だと気がつい

た。

 なのでコピー用紙でカバーを作って覆って読み始めた。

 レイチェル・カーソンン「沈黙の春」に匹敵する内容だったといえば

大袈裟?
  
 巣箱からハチが忽然と消えてしまう。蜜を取りに出たまま帰らぬハ

チ。

 当初はダニによるものだと思われ、次にハチが蜜を集めている果樹に

散布された農薬が疑われ、携帯の電磁波が疑われるがいずれもハチに決

定的なダメージを与えているという結論に至らない。

 一つ一つの原因と思われるものを取り上げてハチの大量死の理由を探

す過程は推理小説を読んでいるかのように引き込まれる。

 そうしてこれという決定的な真犯人は上がらない。

 しかし、むしろというべきかもしれないけれど、現代の私たちの生き

方、価値観を根底から覆させる方向へと話は続く。

 ハチにつくダニや菌・ウィルスを殺すための薬、働かすためハチに与

えるコーンシロップ、休むまもなく働かせ、広いアメリカ大陸を花を求

めてトラックで移動。どこかの国の働き蜂とあだ名さるサラリーマン。

笑えないジョークでしかない。

 農業だけでなく生命は効率、反自然、計画どおり、単一という工業的

な価値観に全くなじまない。工業と同じように野菜も果樹も昆虫もそし

て人間も育てようとしたり動かそうと無理を重ねることの不合理さ。そ

れらはあたかもそうすることが合理的であるかのように見えても結果、

不合理でしかない。

 「今まで頼っていたものが壊れそうになると、私たちは本能的にそれ

を直し、てこ入れをして存続させようとする。・・・・・・もっと肥料

を撒こう。もっと化学薬品を与えて寄生虫や病気と闘おう。・・・・。

だが、もうこれ以上何かを足すのは止める時期にきているのかもしれな

い。」と著者ジェイコブセンは書く。

 複合汚染、有吉佐和子さんの名著まで思い出した。

 半世紀たっても相変わらず・・・どころがますます生きにくい環境に

なっているということ?

 先日聞いた農水省の役人の講演会を思い出した。
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2009年08月21日

橋の上の「殺意」 鎌田慧著

 副題「畠山鈴香はどう裁かれたか」

 と、畠山鈴香といえば秋田の地方都市の新興団地で9歳の女の子と6

歳の男の子が一ヶ月ほどのあいだに行方不明、遺体発見、殺人事件とな

った。そして被疑者は女の子の母親だったという、あの事件。
 
 裁判の過程で畠山鈴香は幼い頃から父親から身体的暴力をうけ、母親

が殴られるのを見ながら育った。中学・高校とも表立っては見えないよ

うないじめに遭い、クラス内でも存在感のなかった生徒だった・・・

と、彼女の半生を追いながら、公判を通じて警察・検察の取調べの過程

を丁寧に追っていた。
 
 著者が取材の中でお世話になった地元作家の名前を文中に発見して驚

いた。その名は簾内敬司さん。

 畠山鈴香が両親と住んでいた二ツ井町在住の作家であり、彼女が卒業

した高校の向かいに住んでいる。事件当時はマスコミが高校にまで押し

寄せ、傍若無人な振る舞いをしたことを覚えている。

 滅多に本を買わない私(もっぱら図書館を愛用している)だけれど彼

の本を二冊も持っている。

 手ですくった山の清流の水が指の間から漏れていくような切なさがあ

ふれている文体が、推理小説のような殺伐とした本ばかり読んでいた私

には強烈な印象が残った。どこか暗い内容だったけれど、心の痛みを数

少ない言葉で表現していたのが忘れられない。

 簾内さんの本を本棚から抜き出して表紙を開くと新聞の切抜きが落ち

た。2001年の朝日新聞「人」の欄だった。記事は、別の作品がエ

ッセイストクラブ賞を受けたというものだった。

 改めて、記事を読んで複雑な気持ちになった。

 2001年に50歳の彼の写真。ほとんど白髪で額には深いしわが刻

まれている。50歳とは思えない。

 その苦悩の始まりは1985年に妻と4歳と1歳の男児を失ってい

る。妻による子ども殺人と妻の自殺によって。(日本的に言うならば

〈心中〉らしいけれど)

 彼は、事件後数日で髪は真っ白になったという。

 その彼が今回の畠山鈴香の起こした事件、いや彼女のことをどう思っ

たのだろうかと気になり始めた。

 かつて妻と子を失った自分と、他人の子どもを殺しわが子をどうやっ

て死なせたか言い表せない被告の姿を重ねたりはしなかったのだろう

か?

 記事は「どうしても書かねばならないことが、まだある」とくくられ

ている。
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働き方革命 駒崎弘樹

 今日は「読書のエンジン」がかかりっぱなしで、この本も読破。

 こちらは今時の若者の威勢のいい文章で気持ちが明るくなる。

 男が9時・6時の定時で仕事を終えるなどできない、できないと思っ

ている限り日本は変わらない。

 駒崎さんは「定時帰宅をしたい」という思いをかなえるために、「定

時帰宅はできない」を言い訳にせず、「したい」から「定時帰宅してみ

る」。「してみる」と「できた」。「できた」ら生活が変わり人間関係

が快適になった。とまあ、あれよあれよと彼の周囲が変わっていったと

いうサクセスストーリー。

 できたのは自分が起こした会社だから「したい」ことが自分の努力で

できるという条件のよさは確かにあったかもしれない。

 それでも、従来の価値観を破ったし、どうやらそれを評価されて内閣

府の働き方関係の委員になっているらしい。

 話、わかってもらえたのだろうか??わかってもらえなくても、い

い。実践している人がそこにいることを旧態依然した官僚と頭の中だけ

で理屈をこねている学者が知るだけでも、存在理由はありそう。
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富国有徳論 川勝平太著

 知人が貸してくれたが、忙しくてなかなか読めなかった。

 ようやく今夕読み始めてたったかたったかと読んだ。途中眠気が来て

しまったが、あまり内容に深入りせずに最後まで読破した。

 論理の根拠がどこにあるのか素人の私にはわかりにくくて、むしろ著

者の頭で思い描いた論のように感じた。

 なるほど、何代か前の首相のブレーンだったというのも納得。
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2009年08月04日

「ぼくと1ルピーの神様」 ヴィカス・スワラップ

 アカデミー賞受賞した「スラムドッグ・ミリオネア」の原作本。

 映画に深さはなかったけれど、ボリウッド映画とはいえ、ほんのちょ

っぴりアメリカ風に作られていて、それなりに楽しませてもらえた。

 最後に突然登場人物が踊りだすあたりはボリウッドらしく、華やかだ

った。

 でも、原作はもっと面白い。主人公のラムはろくに学校にも行かず、

知識を系統立てて得たことがない。その彼がクイズミリオネアに出演し

て正解を言い当てていく。

 その低額賞金から始まるクイズの段階ごとに、彼が人生の中で体験し

ながら得た知識のなかに、たまたま出たクイズの答えがあったというエ

ピソードが織り込まれている。

 どんなに勉強をしてもミリオネアのクイズの答えを最後まで答えるの

も至難の業だが、人生の中で得たわずかな知識が、たまたまクイズミリ

オネアの問題に出るという奇想天外さがこの小説の面白いところ。
 
 サクセスストーリーというより、インドの多様性・国民性とイギリ

ス・オーストラリアとのかかわりなどがそれぞれのエピソードに盛り込

まれていて、現代インドを垣間見られた。

 これは映画を見てから読んでよかった。
 
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2009年07月16日

祖父母に孫をあずける「賢い100の方法」棒田明子著

 えっと、こういう本を読んだってここに書くのはちょっと躊躇いがあ

る。

 「とうとう、ほたるさんにも子どもが生まれたので時には自分の親か

同居人の親にわが子を預けるのようになったの?」から「とうとう、ほ

たるさんも正真正銘の祖母になったので時には孫を預かるようになった

の?」と、まあ、いろいろ憶測されるかも・・と気になったから。

 告白すると、プライベートとは全く無関係。

 9月に子育て支援の講演会を企画する団体に今ちょっとだけ関わって

いる。そこで若い方々がこの著者を推薦して講師に招くことになり、そ

の経緯の中でこの本を紹介していた。

 「さてさて、どんな内容を述べる方なのかと予備知識を仕入れるため

に読んだ」というのが、「正解」です。
 
 現実的でとても適切なアドバイスに溢れているし、文章が短く文字離

れした人にも気軽に手にとってもらえる。

 気になったのは、題に「祖父母に孫を預ける・・・」というときの主

語が略されていること。
 
 〈略されていても、主語は誰なのかはだれにもわかるよね〉というこ

とに問題があると思っている私としては、内容を読んでいて気になる。

 基本、すべてわが子を祖父母に預けるときのコミュニケーションの主

体が子どもの母親であること。子どもをどうするかを考えるのは女の役

割が当然のように匂い立つ。

 ますますジェンダー役割を強化するのが問題だなあと思ってしまった。 

 棒田さんは助産師なのでおおむね付き合うのは女性になるから、そう

した女性中心になるのは仕方ないとしても、やはり私は気になる。

 祖父母に預けるとき孫の父親だって当然出てきて関係作りすることは

重要ではないのか?男は仕事で忙しいからそんな子どもを誰がみるかな

どということは、あまり関与しなくても構わない?

 確かにパパの出番もありますよという章もあるにはあった。でもいか

にも付け足しっぽい。これくらいならパパにもできますよねというニュ

アンスも気になる。前提は現状肯定だもの。

 でもこの本、人間関係をスムーズにするコツが溢れている。祖父母と

の関係だけではなく家族関係、友人関係、職場関係、近所関係とあらゆ

るところに活用できる。

 アサーションというカウンセリングの技法を生かした処世術とでもい

えるのでどなたにでもお勧めかもしれない。
  
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2009年07月04日

こころに病をもつ人びとへ 猪俣好正著

 知らなかった。

 10年以上前に大阪教育大学附属池田小学校での事件があったが、猪

俣さんは本書でそのことに触れていた。

 事件直後は加害者が精神障害を病んでいたのではないかという憶測も

流れた。当時(今も現職)の市長がその事件直後にしたことを私は知ら

なかった。大阪の読売新聞には報道されていたらしいが、当時の全国紙

で全国版には掲載されたのだろうか?

 その市長が何をしたのか・・。

 彼は「事件後に、地域の知的・精神障害者の作業所回りをやりまし

た。『こういう事件が起きると障害者が一層差別され、非常につらい思

いをしている。だから作業所で働いている障害者を励まし慰めなければ

ならない』と。」話したという。

 世論はいっせいに犯人憎し・やはり精神障害者は・・・・と思ってし

まいかねない報道が垣間見られた当時の様子を思い起こせば、市長が二

の足を踏んでもおかしくない。ましてや、市内には被害者と被害者家族

が大勢いる。それでもあえて、精神障害者の立場に立った行動を起こし

たのは、世論に迎合しない姿勢の現われと、行動で人権がどういうこと

かを示したことになる

 精神障害者への福祉施策と理解がヨーロッパに比べて遅れがちな日

本。

 遅れているのに、後退するような施策だけはさっさと打ち出してくる

のだから・・・。
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2009年06月18日

男を消せ!ノルウェーを変えた女のクーデター 三井マリ子著

 なんて過激なタイトル。

 でも、いたって中味は刺激的。これくらい過激なタイトルでもしない

と目をさませられないってことなんでしょうか?

 著者の三井さんは豊中市の男女共同参画センターの館長でしたが、バ

ックラッシュにより解雇となりました。これを不当として目下裁判で争

っています。

 この本が書かれたのは1999年。

 紹介されているのは1960年代から1970年代のノルウェーで女

性が躍進するきっかけとなった運動でした。

 ノルウェーの比例選挙では政党が作った候補者名簿を選挙民が書き換

えられる権利を設けています。これを利用して名簿にずらりと並んだ男

性の名前を女性に変え、女性議員の割合を増やすという運動を起こしま

した。

 どうせ、過激な女たちがしたことと思うなかれ。男性の政党党首も

「地方議会に女がこんなに少ないのは正義に反すると思います」といっ

て協力する。当時の男性首相も快く承諾する。この名前変更の権利を上

手に使って「どの男(の名前)を消すか」という作戦が1966年と1

971年に行われたのがノルウェー。これで女性が大躍進しました。そ

れでも、お粗末な政治をしたら続かなかったはずです。いまだもって維

持しているというのはそれなりの政策をして国民に納得してもらえたか

らでしょう。

 説得する女性にも説得力があったのでしょうが、聴く側の男性にも本

気で聴く気持ちがあるかないか、差別意識があるかないかも重要です。

旧態依然とした価値に固執した頑迷な男性ではこうはいかなかったとい

うことだけははっきりしています。

 40年以上前に北欧の一国の人々の意識と今の日本人の意識と比較す

るのも恥ずかしくなります。 
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2009年06月04日

「壊れる男たち」金子雅臣著 と 京都教育大学続報

 京都教育大学の犯罪を犯した一人は停学中に学童の補助指導員でバイ

トをしていたと今夕のニュースが流れた。

 停学で暇だからバイトでもして社会勉強をしたかったの?殊勝と言え

んこともないかなと思っていたら、どっこい。開いた口がふさがらない

ほどの続きの話。

 ここでバイトができたのは、茨城市教育委員会の課長である父親の

「引き」。父親は何故息子が停学になったかを知らなかった???とし

たら、親子の断絶。理由を知っていて斡旋したとしたら、これまた

「男」社会の常識が一般社会の常識とのずれが露呈。

 丁度ニュースをバックミュージックに読んでいたのが、この本。

 延々と続くセクハラのケースにちょっとうんざりしていた。というの

も、どの事例も揃いに揃って加害男性の言い訳が似たり寄ったりだった

こと。示し合わせたかのような理由を述べているのを読んでいると気持

ちがドンドン落ちていく。

 京都教育大の学生の言い訳も同じだったなあ。感心するほどの男たち

の共同幻想。

 そうしたら耳に入ってきたこのニュース。

 「壊れる男たち」を書いた金子さん。その前に上野千鶴子さんとの会

話で「男たちは壊れはじめているのではないか」と話すと「最近壊れて

きたのではなく、もともと壊れているのだ」と一蹴されてしまった、と

「はじめに」の項で書いていた。

 もともと壊れているというのは誤解を招きかねない。と上野さんより

年下の私が言うのは失礼かもしれない。

 おそらく成育過程で周囲の人から間違ったイメージを刷り込まれた

り、雑誌・ネット・ビデオなどで歪んだ考えを素直に受け入れてしまっ

たがために、壊れてしまった男性たちが多すぎるのではなかろうか

と・・・。

 もちろん、壊れていない男性も数多くいるし、彼らは壊れた男性のセ

クハラ言動を恥ずかしく・苦々しく思っているというのも知っている。

 「セクハラは女性問題ではなく男性問題」というのは、女性の側では

常識だった。

 けれど、この本で男性の金子さんが書いてくれたのは、心強い。
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2009年05月08日

チョコレートの真実

 さっき読み始めたばかりのこの本。先日、図書館で何気なく背表紙を

見て手にして借りてきた。

 チョコレートの原材料となるカカオ豆が最貧国での児童労働の温床と

なっていることくらいは知っていたけれどちゃんとした本を読んだこと

がなかったので借りてきた。

 そうしたら昨日投げ込まれた情報誌でフェアトレードのショップ紹介

があり、知人のことも載っていた。それで、「チョコレートの真実」を

借りてきたものの床の上に山積みにしたままだったのを思い出して、と

りかかった。

 まだ50ページくらいしか読んでいないけれど、ちょっと驚いて覚書

のためここに書いちゃいます。

 チョコレートの原料となるカカオ豆の原産は中南米。紀元前に興って

いたオルメカ文明ではカカオを加工してどろりとした液体を飲んでいた

という。これが西欧に伝わったのがスペイン人による植民地化。あ

れ??最近もそんな本を読んだと思ったら今日の午前に紹介した「ラ

ス・カサスのへ道」。これは世の中がGWで忙しくしているのを横目に

私は時間が大量にあったが幸いして先週読破した書籍。

 「チョコレートの真実」の第二章ではコロンやらコルテスも登場し

て、16世紀から17世紀の歴史をまとめていた。そこにバルトロメ・

デ・ラス・カサスも登場。児童労働を取り上げているこの本で彼が登場

するとは予想もしなていかった。

 ほんの少しだけカサスの足跡が記述されていた。

 大量の書物の中から偶然手にした本、しかも借りた時期は一週間くら

いしかずれておらず、その二冊の本に載っているラス・カサス。これは

もう、日本でいえば聖徳太子に(何でここで聖徳太子かは聞かないで)

匹敵する歴史上のキーパーソンに思えてきた。

 こうなると私が遥か大昔に学生だった頃、せっせせっせと学んだ世界

史とは一体なんだったんだと言いたくなる。当時の教科書のどっこにも

ラ・カサスのことなど載ってもいなかった。(きっと・・・・たぶ

ん・・・ような気がする・・・かも・・・・。少なくとも受験科目だっ

たので勉強はしたはずでこの人物名は覚えた記憶がない)

 やれやれ、こうして私たちは偏った学校教育で偏った視点で物事を考

える癖を叩き込まれるのだと気がついた。

 で、ついでにと言ってなんですが、フェアトレードのイベントのお知

らせです。

世界を変えるための小さな一歩、フェアトレード

       世界フェアトレードデイ連動イベント

 開催日 5月14日(木)−19日(火)

 時 間 午前10時〜午後6時

 会 場 ギャラリー濱村    静岡市葵区両替町

        (青葉公園通りと両替町通り交差点角)

 内 容 @フェアトレードの紹介および食品、衣料品、雑貨などの展

      示販売

     A反物、帯その他呉服物の販売

     B押し花、刺し子、刺繍、絵画などの展示
posted by ほたる at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラス・カサスへの道 上野清士

 ラス・カサスはクリストバル・コロン(日本ではクリストファー・コ

ロンブスと呼ばれている)と同時代に生きたカトリックの司教。

 当時、スペインは新大陸にたどり着き(「発見」と言われるがもとも

とあったわけで、発見という表現そのものが西欧中心の史観として、1

992年、新大陸発見500年を祝った西欧に対してNO!と声を上げた

のが中南米諸国)先住民を虐殺し支配下に置き、搾取していた。その先

頭を走っていたのがクリストバル・コロンだった。そして「遅れた」先

住民を「進んだ」スペインに服従させるためにカトリックもまたその一

員として中南米で布教活動をした・ラス・カサスも当初はその使命で中

南米に赴くが、人間として先住民と接することで、目を開かされる。ス

ペイン人となんら変わりのない人間であるという、現代においては当然

の事実に。そして中年米で行っている行為を母国に伝え、虐殺を阻止し

ようと働きかけ続ける。もちろん本国では彼の意見は抹殺されるのだけ

れど。

 本文の一節が忘れられない。正確な文章ではないけれど、当時の支配

者だったスペイン人が先住民を感化させるために本国の「進んだ」文化

を押し付けようとゴシック調のカテドラルや建造物を作った。そして今

も一部それらは残っている。

 今でもスペインと中南米はかかわりが強く(だから今回の豚由来新型

インフルエンザでもヨーロッパではスペインの感染者が多い)、現代の

中南米の人たちがスペインを訪れることは多い。そしてスペインに残っ

ている文化遺産の素晴らしさに驚愕すると、同時に自国に作られたカテ

ドルがいかに貧弱なものであったかということに愕然とするという。

 自分たちの祖先がスペインによって散々踏みにじられた名残である。

いい加減なものを作って有難がらせ、そして支配していたという現実に

遭遇する。

 そんな意識が当たり前のスペイン人の中で、支配の一機関の一員とし

て派遣されたラスカサスが良心(宗教上からではないと私は思ってい

る)に気づき先住民側に身を置いてラテンアメリカを歩き回り、問題を

投げかけ続けた姿がこの本から伝わってくる。

 上野さんはラスカサスがたどった道を旅しながらラスカサスを現代に

生き生きと蘇らせてくれている。
posted by ほたる at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

イノセント・ゲリラの祝祭 海堂尊著

 審議会だの委員会だの行政が音頭をとって自分たちに都合のいい方々

を集めて、なにやら制度改革をしたりご意見を伺ったりというのがあち

こちで見られる。

 海堂さん、その類の検討会なるものをこうもこき下ろし(あわわ)暴

露し(イエイエ)、官僚、学者、実務家らの心理を実に実に赤裸々に描

写している。これじゃ、実も蓋もないと私ですら思ってしまうほど、面

白い。

 おまけに言葉一つ一つに棘があり、丁々発止のやりとりは息もつかさ

ぬほどのジェットコースター並みのアップダウン。

 その感覚に溺れてしまわないようにしないといけないのが辛いくら

い。政治家を一切登場させていないのは、ジェットコースターのような

丁々発止の会話は相当に頭の回転が早くなくてはついていけないから?

 いかに日本のシステムが官僚に握られているかを思い知らされる。い

かに官僚が大局的に物事を運んでいないかが書かれている。あるのはた

だひたすら自分たちの権益保持のみ。

 社会が求めているシステムは予算がないという言葉で横に退け、自分

たちの求めているシステムはどこぞの特定財源からこっそり引っ張って

きてさっさと作ってしまう。お見事としか言いようがない芸当。

 いつまでたっても必要なシステムが作られず、一見前向きそうな委員

会もただのアリバイにしか過ぎない。そこをうまく利用し、闘いを挑ん

だ「イノセントゲリラ」。祝祭を上げられる日はいつのこと?
 

 
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2009年04月21日

中国臓器市場 城山英巳著

 死刑囚が死刑執行された直後の臓器が移植に利用されているという疑

惑は以前からあった。その死刑囚臓器を移植してもらっているのが、自

国では臓器が足りないため移植を受けることの出来ない外国人。

 そして彼らを対象として臓器移植が闇のビジネスとして成り立ってい

るということを追求した本書。

 もちろん、死刑囚からの臓器移植は、たとえ誰かの命が一時的には延

びたとしても不正は不正。中国政府は国際社会の厳しい目を意識して外

国人への臓器移植を控えるように通知を出している。

 しかし、臓器を欲しがる外国人対象にこんなにいいビジネスはない。

臓器移植のコーディネーターというかブローカーというか仲介をできる

人間は、死刑を執行する裁判所関係者や移植技術のある医師にコネを持

つべく贈り物・接待をする。そうして関係を作って、海外には中国の臓

器移植技術の高さを売り込む。

 移植希望者は欧米で移植を受けるよりも格段に安いため中国での移植

を希望しているから利害は一致している。

 移植という技術の存在と移植をしか助かる道がない(助かるといって

も完璧に元に戻るわけでもないし、生存率も低かったりするので、この

あたりの言葉のまやかしがあるにもかかわらず)と言われて、移植に希

望を託す人がいるから生まれたビジネス。

 全うなビジネスならまだしも灰色ビジネスで生き延びるのも、侘しい

と思ってしまうが、そんな感情を吹き飛ばすほどの金・金・金。

 貧困、上昇志向、欲望。現代社会のひずみを見た気がした。

 
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2009年04月07日

「セブン−イレブンの正体」古川琢也+週刊金曜日取材班

 面白かった。コンビニ経営が大変というのはどこでも耳にしてきた。

夫婦でないと契約できないというのも夜間は夫が昼間は妻がメインでア

ルバイトと切り盛りするためだとか・・。

 ところがこの書籍によるとそんな生易しいものではない。

 オーナーは売れ残り品を値引き販売できなす、廃棄するが、廃棄すれ

ばするほど本社が儲かる仕組みがある。

 仕入れ品の支払いも直接ではなくなぜか本社がやっているため、請求

金額以上の金額を本社に払っていること。

 取引業者も翻弄され、商品配送するトラック運転手も常時監視さ

れ・・・。以前読んだ「ファストフードが世界を食い尽くす」というフ

ァストフードの業界の内幕を暴いた本を思い出したが、そもそもコンビ

にも発祥はアメリカ。

 そして今のサブプライムも発祥はアメリカ。

 さすがというか・・・。
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2009年03月28日

「静かなたたかい 〜 広岡智彦と『憩いの家』の三十年」

 1967年昭和42年に世田谷 三宿に施設を出た子どもへのケアを

するための居場所として「憩いの家」が設立される。当初から管理運営

委員長のとして関わった広岡智彦さんが書いたものを年代順にまとめた

ものがこの本で1997年に朝日新聞社から出版された。

 25年前三宿の隣、太子堂に住んでいたけれど「憩いの家」のことは

全く知らないまま過していた。梅が丘に区立図書館があり、当時よくそ

こには行っていて、図書館に隣接する形で公園があった。その入り口に

「羽根木プレーパーク」の遊び方のお約束が書かれた看板があった。

 その公園が子どもたちにとってとても魅力的な遊び場に違いないとい

う感じがその看板の文章から伺えた。

 三宿の憩いの家は知らなかったけれど、世田谷という地域が「子ど

も」の成長を支える市民の力に溢れているところであるということが、

この二つの活動からも充分推測できる。

 行政にはない発想と行政ではできない柔軟な活動がこうして市民の力

で行われていた。

 公的機関の児童養護施設は、高校進学率が90%を越える時代に入っ

ても15歳で中学を卒業すると「社会にでられるはず」「仕事を持つの

が前提」で施設を出ないといけない。

 もともと施設に預けられる子どものそれまでの家族関係が良好ではな

かったり、施設でも集団生活で一人ひとりの子どもの精神的育ちにまで

目が行き届かないまま、ただ年齢だけが15になったらトコロテンのよ

うに押し出されて、働き始めてもうまくいかない子が多い。そういう子

どもたちを支援するのが三宿の「憩いの家」。

 彼の書いている内容は延々、もっと行政も支援していくべきだと一貫

している。つまり何年経っても行政は手をつけず、市民が細々とやらざ

るを得ない状態が続いていたのだいうことがよくわかる。

 彼のたたかいは生き難さを抱えた子どもたちを支えるためのたたか

い。いつまでたっても動けない行政へ何度も何度も話をするたたかい。

それは少しも目立たず、静かなたたかいだったかもしれないけれど、彼

と歩みを共にする支援者がいた。

 広岡さんは1995年に亡くなるが多くの人に支えられて自立支援の

活動は続いている。

 
 
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2009年03月17日

『生命保険の罠』 後田亨著

 これまた、業界出身者が独立してから出したもの。著者は今は各保険

会社のいろんなタイプの保険を取り扱って、顧客のニーズに合ったもの

を探すお手伝いをしているから、今でも業界の人には違いない。

 何故独立したのか。結局のところ一保険会社の社員・外交員では、顧

客のニーズに合ったものを勧めるというよりも、「売って来い」といわ

れたものを売っているだけで、しかも自分だったら入りたくないような

商品を勧めざるを得ないという会社に押し付けられた事情。

 大手生命保険の支店長(いわゆる保険の外交セールスパーソンではな

い人)が自社の生命保険には入っていなくて県民共済などに入っている

という話が一番、納得。正社員ではない外交セールスマンを営業成績で

争わせて高額商品を売り込ませ、契約を取ってこさせる。お客の側に立

てば、払った保険料は正社員の給料になっているようなもの。

 いざ、保険金請求となると振り出しに戻ったかのような書類提出をお

客に要求しなかなか保険金を出さない。保険金が必要な人は病気で、場

合によっては生死の間をさまようかもしれないのに、保険会社は保険料

はしっかりと取るのに保険金はなかなか出さない、この矛盾。まあ、矛

盾って思うのは顧客側で会社にしたら出したくないのが本音だから矛盾

はないのだろうけれど・・・。

 我が家も最近とある保険を解約した。長年契約していたら解約返戻金

がだんだん上がるが一定年数を過ぎると返戻金の割合が下がっていくの

で、返戻金の率がピークになった時点で解約を申し出た。

 あちらはなんとか食い止めようとあれこれ言い出したけれど、「解約

手続き書類を送ってください」と事務的に話をした。書類を提出して一

週間ほどで返戻金は戻ってきた。長年かけた掛け金総額よりは少なかっ

たけれど、それは「安心料」と思うしかない。

posted by ほたる at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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