2008年06月18日

「トッツィー」

 なぜかこんな懐かしい映画を見てしまった。

 ところが、ところが、当時よりも感動してしまった。 

 若手の俳優を育てる講師をして彼らの間では絶大(?)な支持を得ら

れるものの、自分もまた食べていけない俳優であるマイケル・ドーシ

ー。

 ルームメイトである脚本家の友人の演劇のため8000ドルを稼ぎた

いが、誰もマイケルを俳優として採用しない。演劇への思い入れが並大

抵ではないため演出家ともめる。問題人物の彼は敬遠されている。

 マイケルとして採用されないのならば・・・ということで思い立った

のが女装してドロシー・マイケルズになる。

 女優ドロシーとしてオーディションに臨み、見事テレビの昼メロ(ソ

ープオペラ)「病院物語」の総務部長で採用となる。

 ドラマの脚本は男性にとって都合のいいせりふを書いているが、マイ

ケルはそれを女性の視点のせりふに変えてしまう。そこにはフェミニズ

ムの視点がふんだんにある。映画制作は1982年、日本公開は198

3年、時代はウーマンリブからフェミニズムへと階段を上っていた頃。

 台本「男に縁がなく、食うために自分が男になった」
           ↓
 アドリブ「仕事の話なら拝聴しますけれど、個人的な話を持ち出さな

いで下さい。私は女よ。それを誇りに思いますわ」


 こうして男たちが作った結婚しない女とは結婚できない女のことで、

こんなことを言うだろうという幻想から書いた台本のせりふを女優ドロ

シーは生身の女性の言葉に置き換えてしまう。

 顔を腫らせて入院している女性患者(DV被害者)が言う

 「行くところがないんです。この先どうすればいいのか」

 台本「仕事のないご主人の身にもなって考えてみて。あなたがカウン

セリングを受けないといけないわ」
         ↓
 アドリブ「夫の暴力は泣き言を言っていても解決しませんよ。私なら

黙ってないわ。殴られる前にそこらの物を手に取りこうやって相手の脳

天を叩き割ってやるわ」
と言いながら植木鉢を病室の壁に投げつける。

 患者役の女性はどこにもないせりふに戸惑い、スタッフは驚く。

 (戸田奈津子さんの訳が引っかかる。いけない 黙ってない 

叩き割ってやるなど典型的な日本の女言葉に置き換えている。

英語には女性用の言い回しがないのに・・・。台本が「ご主人」となっ

ているところをアドリブでは「夫」としているところは、理にかなって

いるけれど)

 男性ディレクターはドロシーの名前を覚えない。呼ぶときはハニーか

トッツィー。当然「名前があるのでドロシーと呼んで」と主張する。

 マイケルが女装していることを知ったエージェントと男優に戻ったマ

イケルが交わす会話がいい。

 「僕は20年仕事に飢えていた。電話のそばで待つ気持ちがわかる。

仕事にありついても発言権はゼロ。その体験を同じ女性として」

 「同じ女性」と言うとエージェントに「お前は男だ」と突っ込まれる

が、売れない俳優マイケルは女性がおかれている状況と同じ。

 一人前に接してもらえないとき、そこには自分がいないかのような気

持ちにさせられてしまう、そのやるせない思いはマイケルも体験済み。

そしてその思いを女優になることで不当だと言える勇気が持てた。

 そしてそこに甘えている男社会の意識に平手打ちを与えている。

 当時のフェミニズムの空気が伝わってくる。

 ところが、今の時代このせりふが「仕事に飢えている。携帯電話が鳴

るのを待つ。仕事にありついても発言権はゼロ」となる。

 今の日本の派遣・アルバイトと重なる。一人前に働けない働く場がな

く、そこに自分が存在して気持から秋葉原の事件も起こっている。透明

な存在と書いた神戸の事件の少年の気持ちとも重なる。

 なんのことはない、時代は逆行しているってこと???

 それにしても、トッツィーを約20年ぶりに見てこうまで感動すると

は、最近の映画の質が落ちているのかなあ?

 

 

 
posted by ほたる at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

「ダンサーの純情」

 久しぶりに韓国映画を見た、といってもレンタル。

 ストーリーも良かったけれどサンバがなかなか良かった。ところが気

に入った二曲ともサントラ盤には入ってないそうで、検索したら韓国の

どなたかのブログ(?)で音楽が聴けたので貼り付けました。

 これ?著作権に引っ掛るのかなあ?試聴をどうぞ。

 http://blog.naver.com/smile9529/90024552615

 http://blog.daum.net/yst1001/4933719

 どうやらマイブームはラテン系。


posted by ほたる at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

There will be blood

 アメリカンドリームのお気楽、ハッピー路線じゃないので見てきた

が、なんとも気持の悪い映画だった。

 作品としては質は高いと思うけど人間の欲深さと原油の「どろどろ

感」があまりにマッチングしている。

 主演のダニエル・デイ=ルイス(役名がこれまたダニエル・プレイン

ヴュー)が欲まみれの石油王を演じるが全身原油にまみれた姿なんか鬼

気迫ってくる。

 そして、なぜか一人息子がいる。その一人息子がどうしてそこに存在

するのかも不明なら後半にいたっては本当にダニエルの子どもの設定だ

ったかどうかもあやふやになってきた。ただ、荒野の土地所有者に「原

油が眠るから採掘させてくれ」と交渉するときに子どもがいたほうがい

かにも家族思いで人の良さをアピールできる。子どもすら利用した?子

どもだから利用した?

 石油王ダニエル・プレインビューが積極的に欲をさらしているとする

なら、もう一人の人物ポール・ダノが偽善的宗教者イーライ・サンデー

を演じていた。こちらもまた人間の狂気を彼の背後に感じ取らせて圧倒

される。

 ポール・ダノは苦手な役者なんだけれど、演技は一流。彼の風貌が得

をしているのかもしれないけれど、あの風貌で演じ損なったら見ていら

れないから、やはり底力はある。「リトル・ミス・サンシャイン」「キ

ング・罪の王」いずれもどこか心に屈託を抱えた若者を演じていた。

 ダニエル・プレインヴューのあの強欲さが自称帝国アメリカを支え、

イーライ・サンデーが宗教もどきのうごめく現代社会を体現していた。

でも、いずれにしても気持の落ち込む作品であることに代わりはない。

 
posted by ほたる at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

「いのちの食べ方」がやってくる

 12月に東京で見てきた「いのちの食べ方」がこちらでも上映されるこ

とになった。

 できれば市民が自主上映するのにぴったりの作品で知人がとある団体

にお勧めしたらしいけれど・・・。きっと既にサルナートホールでの上

映予約がなされていたんだろうね。

 でも、二週間にわたって上映されるので、多くの人に見てもらえるの

は有難い。

 ほんとうに普段食べるものが工業製品のように育てられ収穫(屠殺)

されているという事実が全く脚色なしに映像に納められている。今日食

べた牛肉になった牛さんもこうやって育ったんだなと思うと、命の悲哀

を感じてしまう。

 「厳粛な気持で戴きましょう」というのも、ちょっと観点がずれてい

る気持がしてしまう。かといって感謝の気持も持たずに食べられない

し、なんだかあの映像を思い出すたびに食べ物を戴くときに戸惑ってし

まう。
posted by ほたる at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

4ヶ月、3週と2日

 映画評ではサスペンスに満ちているとか当時のチャウシェスク政権の

抑圧された社会がうまく描かれているとあったし、映画祭でも評価が高

くカンヌ映画祭では最高賞のパルムドール受賞にも輝いている。

 それはそれとしてもなんとも嫌な気持になってしまった。 

 映画は、不本意に妊娠した大学の寮に住むガビツァのためにルームメ

イトであるオティリアが違法を承知で中絶の手配の手伝いをする。

 お金の工面でオティリアはボーイフレンドに理由を言わずにお金を借

りる。そしてガビツァが予約したホテルに確認に行くと、予約が入って

ない。急きょオティリアが他のホテルを探す。

 ガビツァ自身が医者と会わないといけないのに、調子が悪いから代わ

りに言ってほしいといわれ待ち合わせ場所にいく。

 中絶の処置の後も、オティリアはボーイフレンドの母親の誕生祝の席

に駆けつけるがホテルに残したガビツァのことが心配で電話をするもの

のかからない。何かあったかと駆けつけると、電話はうるさいのでバス

ルームに放り込んだという。かかってくる電話はオティリアからしかあ

りえないのに・・。

 とにかくガビツァのどの言動も無責任と傲慢。自分の勝手な判断で平

気で嘘をつく、誤魔化す、人の善意を全く意に介さない。

 チャウシェスク政権がこんな人間を多数生んだということも描きたか

ったのだろうか?

 最後の最後まで自己中のガビツァにぐったりしてしまった。

 この二人はその後もルームメイトとしてやっていけたのだろうか?
posted by ほたる at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

スルース

 難解だった。  

 高慢な推理小説家と彼の妻の不倫相手である野心たっぷりな俳優との

「ゲーム」。

 離婚を迫る俳優とただでは離婚すまいとする小説家。

 俳優は小説家の家に呼び出される。

 その家は何かの管理センターのように敷地や屋内いたるところに隠し

カメラが設置されている。室内も無機質でリモコン一つで壁がスライド

し隣の部屋が現れたり天井が開いたりと、「家庭」というより精密機械

の工場のようにひんやりとしている。モニター画面が随所を映し出す。

 室内照明が色を変え、回転しながら室内を照らす。

 単刀直入に話を進めたがる俳優と老練で一筋縄ではいかない小説家と

の息詰まるような会話にはふんだんに毒素がまぶしつけられている。

 嫉妬と欲望がからみんだり、言うことが二転三転し翻弄される。

 双方の顔がスクリーンいっぱいに映し出される。目は感情を出さず、

相手を観察してている。口元は穏やかな笑みをたたえているのに繰り出

される言葉の一つ一つは毒を含んでいる。しわの一つ一つにまでおどろ

おどろしい感情が見え隠れする。あまりのアップに押しつぶされそうに

なる。

 それだけに場面の無機質さが際立つ。

 もともとは舞台作品。舞台では役者が全身で表現するけれど、今回の

映画ではアップと場面とで感情を描き出す。

 役者としてはこんなにもアップを撮られるって役者冥利に尽きるとい

うよりも、衣装や口調や身振り、背景、音楽などでのごまかしが効かな

いから厳しい。小説家を演じたマイケル・ケイン、俳優を演じたジェー

ド・ロウ 二人とも見事に演じていた。

 実はこの頃は一番前の席で少し顔を上向きにして映画を見ている。こ

れまでは真ん中くらいの席が見やすいのでそこにばかり座っていた。

 あるとき受付が遅くなり最前列しか空いていなかった。仕方なくそこ

で見たけれどいつもと違う感じにはまってしまった。以来、真ん中の席

が空いていてもそこには目もくれず最前列に座っている。

 スルースも最前列で見たけれど、アップの顔に見下ろされているのっ

て見えない大きな風船に押し付けられているようで、疲れてしまった。

 ジェンダーばっちりの人に言わすと「『おとこ』の嫉妬も相当だ」な

んて表現を耳にするけれど、男も女も関係ない。エゴとプライドに固執

した人間は、どなたも嫉妬が芽生えると始末が悪いことの見本となる映

画だったなあ。

 仮面の下はどろどろ。
posted by ほたる at 13:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

サラエボの花

 予想を裏切らない内容だった。

 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。

 シングルマザーのエスマと一人娘のサラのつましい暮らし。サラは修

学旅行を楽しみにしている。戦死した兵士の子どもは旅費を免除され

る。父が戦死したと信じているサラは早く戦死証明書を学校に提出して

欲しいとエスマにことあるごとに言うがエスマはそれをいつもさりげな

くかわす。かすかな腹立ちと不安がサラのなかに芽生える。エスマもま

た薬を手放せないほど心に傷を抱えている。

 そして母と娘が衝突して明かされた事実は・・・。

 1992年のボスニア内戦の戦争シーンは一切ない。それでも戦後の

復興の厳しさと人々の心に残した傷跡の深さとがさりげない会話や町の

様子から伺われる。母と子のかかわり、支えあう人間関係が丁寧に描か

れている。

 ただ気になるのは口論の末、サラに出生の事実を吐き出してしまった

こと。これから思春期を迎える12歳の子どもがこの重荷をどうやって

抱えていくのか。こればっかりは周囲の支えだけでどうこうなるもので

もない。やり直しのためスタートに戻れるものでもない。サラが「生ま

れてきてよかった」と思える日までの道のりを想像すると苦しくなる。

 エスマがもっと早い段階で、通っていた集団カウンセリングで戦争体

験を話せていたら、こんな状況は生まれなかったかもしれない。似た体

験を持つもの同士のカウンセリングにおいてすら話せなかった体験をサ

ラとの口論で口走ってしまう。映画とはいえこの展開は悔しい。

 エスマを演じたミリャナ・カラノビッチはセルビア人。映画の中では

加害者側の民族でありながら熱演していた。戦争の傷跡は勝った国(民

族)負けた国(民族)いずれでも多かれ少なかれ残る。傷の痛みもまた

勝ち負けに関係ない。戦争の犠牲者になった女性の苦しみを共感しなが

らの演技が評価されたからこそ、ブリュッセル・ヨーロッパ映画祭で主

演女優賞に輝いたというのも納得。


 
posted by ほたる at 09:24| Comment(1) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月20日

女はみんな生きている

 とってもお勧めの映画の一本。

 先日「スタンドアップ」を男女共同参画の推進している団体に上映会

をしてもらったけれど、実はどんな映画を上映したらいいかという検討

会のときに「スタンドアップ」だけでなく「女はみんな生きている」も

お勧めした。

 「スタンドアップ」は実話ということもあり社会派。「女はみんな生

きている」はフィクションで娯楽性も加味しているし刺激的。

 夫と大学生の息子のいるエレーヌ。夫は会社を経営しているけれど、

会社一番。故郷から高齢の母親が会いに来ても煩わしそうにするだけ。

妻であるエレーヌに対しても家政婦くらいにしか思ってないかのような

言動。息子は彼女と同棲しながら浮気男で他の女性と二股かけている。

 そんなエレーヌが売春組織に追われて重傷をおった女性ノエミを助け

る。

 それまで家族のために家事をし、夫の母が来ても会いたがらない夫を

隠して対応し仕事もこなしていたが、重傷のノエミを放っておけない

エレーヌ。ノエミの介護をし、売春組織の一味が現れるとノエミを守

る。男たちに搾取されてきたノエミの話と自分の家族との関係は紙一

重。いやいや本質は同じ。

 いつも上に立って女性をを搾取の対象か奴隷のようにしかみない男た

ちとはおさらば。女同士共感しあえる関係を作ろうと動き出す。

・・・・

 この映画、どこまで行っても自分たちの姿が見えない男たちが哀れに

描かれている。男女共同参画の推進している団体が上映したらブーイン

グがいっぱい起こっただろうね。

 私としては娯楽映画だからおなかを抱えて笑えるこの映画を実は内心

イチオシだったんだけど。

 今回この映画を見るチャンスに恵まれたのは清水の映画祭で取り上げ

てくれたから。

 スクリーンで二回見られるチャンスはそうはない。喜んで行ったけれ

ど観客数は少なかった。知名度低いからなあ・・・・・。

 もったいない、もったいない。

 
posted by ほたる at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

陸に上がった軍艦

 新藤兼人監督は1944年に32歳の高齢で海軍航空隊に二等兵で召

集され、敗戦まで呉と宝塚で軍隊生活を送った。その実体験を彼の証言

と再現ドラマ(?)で描いたドキュメンタリー。

 「召集令状が来れば国民の義務だから行かないとはいえない」。そう

いう選択肢はないというあたり、裁判員制度が重なった。

 軍隊内部のいじめも熾烈。制裁は拷問。

 1945年終戦の年になると訓練も訓練という名のもとのごっこ遊

び。

 敵の戦車に爆弾を投げつける訓練。

 木製の戦車を作る。もちろんキャタピラなんてなく、木で作った粗末

な車輪みたいなものがちょこっとあるだけ。その木造戦車を草原におい

て縄で10人ほどが引きずる。それにめがけてこれまた直径30センチ

くらいの木造円盤(鍋蓋だね)を戦車に向かって走りながら投げつけ

る。小学生の戦争ごっこか。

 靴を前後ろ逆にして足にくくりつけて履き行進する。残った足跡で退

却しているように見せながら、実は前進しているという〈意表〉をつい

た作戦らしいが、こんな作戦考えた人の真面目さと愚かさを想像するだ

けで、当時の戦況、物資不足、人材のなさ、厭戦感が伝わってくる。ア

メリカはB29で雨あられのように爆弾を落とし、原爆まで持っていた

んだから・・・。

 笑えて笑えて・・・・、こんなことしていながら「勝てる」と扇動し

ていたのかと思うとしたほうもしたほうだけれど、信じたほうも信じた

ほうだ。なんて、結果論だね。

 ってすると、今でもいかにも大切そうにしていることが後世の人から

見たら冷笑されるかもしれない。

 我が身を反省してしまった。
posted by ほたる at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

人のセックスを笑うな

 この表題、とっても過激で意表を突いている。それにセックスといえ

ば〈行為〉のほうを想像する人が多いだろうなと感じていた。

 原作者の山崎ナオコーラさんも知らないし原作も読んでいないけれ

ど、映画を見る前に「セックス」の意味するところは、【誰を好きにな

ろうといいじゃないか、他人がとやかく言われたり笑ってもそんなのか

んけーねえー】ってことじゃないかと予想して見てきた。

 結果はわたしなりにはやっぱりねって思ったけれど・・・。

 39歳の美術講師ユリを演じた永作博美さんの実年齢も37歳だとい

うことだけれど、その美術講師と19歳の大学生みるめの恋愛と同級生

の片思いにがほのぼのと描かれていた。

 ひょんなことで出会った女性が大学のキャンパスにいるのを見つけた

みるめ。彼女ユリのことが気になるみるめはユリのリトグラフ作製を手

伝う。そして絵のモデルになることから二人の関係が深まる。

 あるとき、ユリがみるめに誘いをかけた理由をみるめにずっと片思

いをしている女子大生えんちゃんに告げる。
 
 「触ってみたかったから。」

 非常に自分の気持に率直で行動に移すのはいいけれど、スーパーのト

マトやりんごに触りたいってのとは違う。相手は人間で触られると感情

が揺さぶられるし、その後の展開もいろいろある。

 39年も生きてくればどんなに純粋でもそこそこ人の気持ちを推し測

ることはできるわけで、それの欠けたユリは罪深い。だから小説映画に

なるわけだけど。

 結局19歳のみるめは純粋すぎて目が見えずただ翻弄されたってこ

とね。

 一方、みるめに片思いしているえんちゃんも伝えたいのにミルメの視

線の先にいつもユリがいるため告白できない。さらに、そのえんちゃん

を好きな堂本君もまた好きと言えない。19歳はまだ青くて、自分の感

情でいっぱいいっぱいで周りの気持まで推し測れずこうやって知らない

ままに誰かを傷つけている。

 でもこのシチュエーションが逆だと小説じゃなくて法律問題になる。

 つまり39歳の男性講師が19歳の女子大生に「触りたかったから触

った」

 セクハラの可能性が出てくる。合意の上だって言いたい? 
posted by ほたる at 08:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月14日

「君の涙 ドナウに流れ」

 当地の映画館では上映されなかったけれど、清水映画祭ではメニュー

に入っていた。「勇者たちの戦場」とあわせて見た。

 時代は1956年。ソ連の支配下でソ連よりの共産主義政権が幅を利

かせ国民は不満を溜め込んでいたハンガリー。1956年はプラハでハ

ンガリー動乱が起こった年。そしてオーストラリアメルボルンオリンピ

ックの年でもあった。

 自由を求めて運動をするヴィキと水球のオリンピック選手カルチとの

愛をハンガリー動乱とメルボルンオリンピックでの水球競技でおこった

流血事件とうまく絡めて映画化した。

 政治の話にかかわりなくスポーツ競技があるといいたいだろうけれど

現実オリンピックは国威発揚に利用されている。その矛盾に気がつき一

時は水球チームから離れるカルチだけれど、その後オリンピックに向け

てメルボルンへと向かう。直後ソ連軍は増強してプラハに押し寄せ、ヴ

ィキは・・・。

 ヴィキのことを知らないカルチはメルボルンのでの決勝戦でソ連チー

ムと対する。水球のルールはよく判らないけれど映画ではソ連選手の反

則は明確に描かれていたので素人の私でも反則だとわかるけれど、カル

チがそれに対してとった行動が反則なのかどうかは微妙。審判はソ連選

手の反則は指摘するけれど、カルチの行動には笛を鳴らさない。審判員

もハンガリー動乱のソ連の横暴を知っての判定かとついつい疑ってしま

う。

 そして起こったのが試合中ソ連選手によるカルチへの暴力。プール

が一瞬にして赤く染まる。試合の結果、ハンガリーは金メダル、ソ連は

銀。金メダルを胸にしたカルチはそのころヴィキがどこにいるのかは知

らない。
 
 スポーツと政治が・・・といえば今の北京オリンピックも似たり寄っ

たり。

 映画の最後に流れた言葉も「自由の国」に生まれているはずなのに共

感したので引用。

 自由の国に生まれた者には理解も及ぶまい

 だが私たちには何度でも繰り返し噛み締める

 自由がすべてに勝る贈り物であることを


     天使のうた マライ・シャーンドル〔ハンガリー人の作家〕

posted by ほたる at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

勇者たちの戦場

 4月5日から始まった清水映画祭。何本かは見たものがあるけれど見

損なったものもラインアップされている。

 先週「君の涙 ドナウに流れ」と「勇者たちの戦場」を続けてみてき

た。

 二本目に見た「勇者たちの戦場」はイラク戦争に志願して行った兵士

たちがとりあえず生きて帰還したもののPTSDで日常生活がまともに

送れなくなっている姿を映画にしていた。 

 一人は元の職場に戻れず低賃金の職場で鬱々と過す。一人はアルコー

ルに溺れる。一人は右手先を戦場で失い仕事に戻るが人の好意を受け入

れられない。

 3人ともがイラクでの異常な(つまり戦争体験)を平和ボケした本土

アメリカの家族・友人らに話すことに躊躇して、口をつぐんでしまう。

PTSDを語る集団カウンセリングに参加したものの、うまく表現でき

なかったり、人の話を受け止めて聞くことのできない同士がぶつかり合

うが、中にはベトナム戦争以来のPTSDを未だ抱えている初老の元兵

士もいる。

 偶然再会した3人はようやく共通体験をしたもの同士イラクでの話を

始める。だれもがどうにかしたいがどうにもならない自分の心に苦しん

でいる。

 そしてあと一人は帰還後冷たくなった恋人を銃で脅して監禁するが警

察に包囲され最後は銃殺されてしまう。

 イラクに行けば帰還後は大学に入れるとかアメリカ国籍がもらえるな

ど、あたかも入隊すればいいことがあるかのように米軍は若者をリクル

ートするが、帰還後の現実は厳しい。

 イラクで戦ったのは何のためだったのだろう?イラクのため?自分の

ため?アメリカのため?

 それを探すためにある一人の青年は再び入隊して行く。

 迷惑な話。この青年の切羽詰った思いはわかるけれど、戦場に行く兵

士がいる限り戦争は続く。これもまた負の連鎖。

 
 
posted by ほたる at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

「オレの心は負けていない」Part2

 昨年末に東京で見てきたドキュメンタリー映画が、静岡県でも上映す

る団体が出てきた。2月中旬に試写会をやったけれど、その情報をアッ

プするのを忘れていた。

 『オレの心は負けてない』上映会

 日時:4月5日(土) 午後1時半〜 6時半〜 2回上映

 会場:アイセル21

 参加希望の方は当ブログにご連絡を。

 とてもいいドキュメントでした。孤独と連帯、共感と違和感、人が関

わることの大変さと喜びが伝わってきました。

 もちろん歴史の中で声を出せないままにさせられてきた女性が裁判に

挑むことの意義もあるけれど、2月に上映した「スタンドアップ」同様

周囲の理解と一緒に立ち上がる人の存在がいかに大切なのかを痛感させ

てくれます。だからこそ敗訴となってもくじけない。「負けない心」は

自分ひとりで作れるものではないんだと、再確認です。

 〈前回書き忘れたこと〉

 映画のエンディングロールで、寄付をし、かつ名前を公表してもいい

と承諾した人のお名前が流れていた。著名な方々に混じって近隣にお住

まいの男性のお名前も見えた。

 名前を出すというのはなかなか勇気のいることで脱帽でした。
posted by ほたる at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月02日

明日への遺言

 大岡昌平「ながい旅」原作。

 藤田まこと演ずる岡田資中将の戦犯としての裁判を通して戦争とはど

ういうものかを法廷において明らかにし、そして自身の上官としての責

任を全うしようとする姿勢を地味な映像と単調な法廷シーンの積み重ね

で丁寧に映像化していた。

 名古屋を空爆し一般市民を殺害したアメリカ空軍の搭乗員が、空爆後

落下傘で東海地区に降り、捕えられたが東海司令部の岡田中将は彼らを

捕虜ではなく敵兵として処刑した罪で戦犯とされる。

 アメリカ兵に直接手を下したのは部下の若い日本兵たちで彼らもまた

戦犯として裁判にかけられていたが、岡田資は命じた自分に全責任があ

ると一貫して主張する。アメリカ人弁護士、検事、裁判官皆が岡田の潔

い言動に心を揺らせ、岡田に有利になるような質問をあえてするが岡田

は自分に不利なる言動を変えなかった。

 映画を見ながら思ったのは、時津風部屋での暴行致死事件。

 当時の親方は自分には一切の責任はない、弟子たちがしたことで自分

は一切関与もしていなかったし監督責任もないと言っているらしい。本

当にそうだとしても、聞いていて恥ずかしい。

 岡田中将のような「立派な」日本人がいるのだとこの映画でアピール

したい人たちもいるかもしれないけれど、むしろ岡田中将のような存在

は稀有なんだろうと、だから映画になったのであって前時津風親方じゃ

映画にならない。
posted by ほたる at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月29日

いつか眠りにつく前に

 ココしばらく映画からは遠ざかっていた。

 久しぶりに金曜レディースデイ1000円で注目の映画を探してみる

と、あらら、いつの間にやら見たかったのは上映終了。二番手に見たか

ったのが「いつか眠りにつく前に」。

 老いと病で死がすぐそこまで近づいている女性アン。二人の娘が彼女

を見守るがアンは娘たちの知らない人の名前を口にし、自分の「過ち」

をもらす。 

 夢と現を行き来しながらアンの胸に押し込めた愛と友情と挑戦と挫折

が徐々に明らかになる。
 
 背負ってきた重荷を下ろせもせず、死の床にありながらもいまだもっ

て過去になりきっていない若き日の苦渋に満ちた体験。

 それは50年前友人ライラの結婚式に招かれて彼女の別荘での事件。

 ライラは結婚を翌日に控えながらも別荘の使用人の息子ハリスへの思

いを断ち切れない。ライラの弟バディはアンに恋心をずっと抱いてい

る。そしてアンとハリスは惹かれあう。

 そしてそこで起こった事件が彼女の人生に重くのしかかる。

 現在。死の床にいる母親を見守る娘たちもまた互いに対立し和解し、

生き方を模索している。そして何よりも、母親アンへの思慕と満たされ

なかった子ども時代の心が走馬灯のように時代を追いかける。

 若かりし日、挙式の朝、結婚する友人ライラのベッドに入って勇気付

けたアン。

 50年後死の床にある彼女の元に駆けつけたライラもまたアンのベッ

ドに入り寄り添って互いの人生を認めあう。

 ライラとの再会で、思うように生きられなかった人生とそのきっかけ

ともいえた事件を受け入れ穏やかな気持で死に旅立ったアン。

 まだまだ人生が続いていると「これでいい」と思えずあがき、自分を

叱咤し、欲望を満たそうとするのが人かもしれない。

 死と向き合ったらもう前にどう進むかよりも自分の人生を甘受するし

かない。

 老いたライラを演じたメリル・ストリープと若きライラを演じたメイ

ミー・ガマーは実の親子。

 上昇志向が強い若かりし日のアンはクレア・ディンズが、また過去の

重圧に苦しみ病と闘う晩年のアンはヴァネッサ・レッドグレイブが演

じ、こちらもまた実の親子。

 この女優陣の構成が前評判でも言われていたけれど、それよりもライ

ラの弟バディ役のヒュー・ダンジーが意外と熱演して映画を面白くして

いた気がする。
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2008年02月18日

「大統領の陰謀」

 懐かしい映画をレンタルしてみたのは今USAの大統領選がにぎやか

だからかもしれない。

 新聞のモニターをしているけれどそれでも質問に「大統領選の報道内

容、量についての考えを述べて欲しい」とあったのには、「他国の話な

のに多すぎる。他地域の報道ももっと欲しい。内容的にもどちらが勝つ

つかというものが目立つ。どちらの党が勝つと、またはどちらの候補が

大統領になると日本の米軍基地問題はどう変わりうるのかという視点が

あまりない」なんて、書いたのに・・・・DVDを借りてしまった。

 だけれど見ていたのは、ロバート・レッドフォードよりもダスティ

ン・ホフマンがいいなあとか、当時はまだパソコンは報道の分野でも取

り入れられてなかったんだあ・・ということばかりだったみたい。

 それにしても隔世の感がわいてきた。だって、二人が原稿を打つのが

タイプライター。ガチャガチャと音も大きくあの紙をたたくハンド

(?)のすさまじい動き。30年ちょっとの間にこんなにも技術面で時代

が進んでしまうのね。

 お二人とも今はいい年齢になったわけで、同様に私も30年以上前って

まだ10代・・・・。遠くに来てしまったわ。 
posted by ほたる at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月11日

「スタンドアップ」と未成年

 昨日の映画を見た方の感想の中に「未成年には難しいかも」という

のがあったらしい。

 私は、あの話は未成年に難しいどころかものすごく共感できると思

った。セクハラのシーンは子ども社会のいじめで使われる方法とそっ

くりだから、あの嫌がらせがどれだけ被害者たちに不快感を与えてい

るかは充分わかる。

 KYなんて言葉があるように今の子どもたちは集団の中で孤立しな

いように空気を読んで生きている。(でも日本社会って昔から空気を

読んで周囲にあわせることが「協調性がある」という肯定の評価を与

えてきてるんだから、いまどきの子どもたちだけがKYなわけじゃな

い)。

 映画の中の企業城下町に住む住民のジョージーに対する姿のなかに

自分の姿を見つけたんじゃないかなあ。

 そして、そうやって寄らば大樹の陰にいながらも苦いものを飲み込

んでいる自分とジョージーを対比させて、どちらの生き方が素敵かを

考えたと思う。

 でも、未成年の参加者って私の子ども以外にいたのかなあ????
posted by ほたる at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月10日

「スタンダップ」

 シャーリーズ・セロン主演の「スタンダップ」をもう一度見るチャ

ンスに恵まれた。

 ある団体が映画をしたいので何か良い作品はないかと、ふとした会

話でこの映画と他数本をお勧めしたら、この映画を上映することにな

った。

 二回目だけれどやっぱり涙が出てしまった。

 男社会の炭鉱でセクハラを受けて誰に相談しても「男はそういうも

のだ」「女が誘ったんだろ」「もともとあばずれだったから」という

冷たい言葉を浴びせられたときのジョージーの能面のように凍りつい

た表情がやった側とやられた側の立場の違いを鮮明にしていた。

 「気持ちはわかるけれど忘れることが一番だ」といういかにもまと

もそうに聞こえるせりふも、結局は他人事の意見で、弱い立場の声を

抹殺する。事なかれ主義とまともに人の話を聞こうとしない。

 それでも生きていくには欠かせない尊厳を守るためにジョージーは

一人で立ち上がる。どこへ行っても罵声をあびせられ、冷笑される。

 誰にも言えない、言わないで、言えば傷つく存在を守るために隠し

てきた過去まで法廷で言わざるを得なくなる。満身創痍になりながら

も意思を曲げない姿に周囲が変わる。

 セクハラは女の問題じゃない。権力関係が存在することが問題だと

つくづく思った。

 チケットの売れ行きもお勧めした手前とっても気になっていたけれ

ど当日の会場は予想外の入り。ホッと胸をなでおろし、気持ちよく涙

を流したし、今夜は枕を高くして眠れそう。
 
posted by ほたる at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月09日

「歓喜の歌」

 自治体ホールの管理をしている公務員が似た名前のママさんコーラ

ス二つを年の瀬にダブルブッキングしてしまう。「似た名前をつけた

あんたたちのほうが悪い」、「どっちかがさっさと譲れば解決する」

と心の中で思っているのが態度に出ている公務員役を小林薫が好演。

 そうそう、公務員とくに事務職ってこういう所あるとステレオタイ

プなのがまた笑える。

 ママさんコーラスもまたタイプがくっきりと二分されている。かた

や典型的な「奥様」ばかり集まったグループ、一方は生活に追いまく

られながらもコーラスに喜びを見出しているグループ。

 で、映画の中でも後者のメンバーのほうがそれぞれの生き様も人間

性もとても個性たっぷりに描かれている。「奥様」たちはつまらない

人ばかりで・・・これまたステレオタイプになっていた。ちょっとだ

けいいシーンもあったけど。

 小林薫演じる市役所職員が途中で自分の横柄さに気づいて動き始め

るとそれがまた笑いを誘う。それでも彼が変わると事態も好転し始め

る。現実の問題でいつもそうなるとは限らないけれど、何もしない、

何も気づこうともせず、やり過ごすよりはまし。何かとバッシングを

受ける公務員には励ましの映画かもしれない。 
posted by ほたる at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月08日

「やわらかい手」

 海外へ渡航して手術を受けないと助からない孫。渡航費用がない息

子夫婦のためお金を何とか稼ぎたいのだけれど、初老で無資格のマギ

ーには就職しようにも職がない。困り果ててふと街角にあった「接客

の仕事」の張り紙に引き寄せられて入ったお店は女性が男性にとある

サービスを提供するというお仕事。簡単な作りの施設なのだけれど

「日本式」だそうで「隠微な」としか言いようがない代物。(映画の

製作は仏・ベルギー・ドイツ・ルクセンブルグとなっていて日本は関

与してない。ただただ施設のアイデアだけというのもどこか情けない

なあ。)

 そこで、マギーの手が大活躍して売れっ子になり、彼女は孫の渡航

費用を得る。

 まさしくユーロ版「細腕繁盛記」って感じ。でも、かつての日本の

テレビ番組の「細腕繁盛記」のような明るいお天道様に恥じない働き

とは少し違う。

 この映画は刺激的だし、ちょっと真面目な人から見れば眉をひそめ

るような話なのだけれど、ウィットに跳んでいるというかこういう描

き方のセンスは日本ではちょっと無理だなあとつくづく実感。

 「女はみんな生きている」もそうだった。あれはフランス語だった

からやはりヨーロッパ製。

 海外のものがいいとばかりはいえないけれど、エスプリとかウィッ

トはかなわない気がする。これまた国民性?? 
posted by ほたる at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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