2009年01月20日

「俺たちフィギュアスケーター」

 東京へ出かけて、毎日数本深刻なドキュメント映画を見ることになっ

ていたので、その前にせめてすこしでも気持ちをリラックスさせるため

に「いざ」ということで見たお気楽映画がこれ。

 男子フィギュアシングルで同点で金メダルを獲得するものの表彰台で

いがみ合い、大騒ぎになり二人とも男子フィギュアシングルから永久追

放になるマイケルズとマッケルロイ。マッケルロイは孤児院でいたとこ

ろスケートの才能を見出されて富豪と養子縁組してもらうがこの乱闘で

追い討ちをかけるように縁組解消されてしまう。このあたりいかにもア

メリカのドライさをさりげなく盛り込んである。

 ところが永久追放になったのはあくまでもシングルというわけで、マ

ッケルロイの監督がこの男二人でペアを組ませて、幻の演技(失敗すれ

ばペアの首が氷上に転がるという命がけの演技)を実現させる・・・と

いうハチャメチャ映画で笑わせてもらった。

 早稲田松竹で見たけれど涙が出るほど感動したのはなんと二本立てで

当日料金1300円。昨今の映画は当日一本だけで1800円。前売り

にしたって1500円。それよりも安くて二本立てとはお得。

 さほど話題に上らなくてもこれだけの観客に見てもらえるのだから映

画にとっても幸せだろうなあ。
 
posted by ほたる at 15:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月03日

「青い鳥」

 重松清原作の「青い鳥」は単行本でも読んで、じわっときた。映画は

変に手を加えられたらがっかりするかもしれないと思っていたので、迷

っていたが、見てきた。

 今日、土曜日で映画の初日だったからほぼ満席。見に来た方がばった

り出くわした他の方に声をかけていた。 「まあ、先生・・・」

 映画が中学生のいじめを取り上げた作品ということもあって現役の正

真正銘の教員の方がいるのが、他の作品とちょっと客層が違うというこ

とかもしれない。

 作品はとてもよかった。

 刺激的なシーンはほとんど使わない。阿部寛演ずる村内先生という吃

音の非常勤教師の姿が毅然としてなくていい。毅然どころか私たちの中

にある「先生」らしさからはずいぶんと違う雰囲気を漂わせ、学校の廊

下を歩く足取りもゆっくりというよりもおぼつかなげでいい。

 学期途中で担任のピンチヒッターになり黒板を背に教壇に立つ。 

 そのたたずまいは、先生というよりも近所の中年のおじさんがふらり

と教室にやってきて子どもをじっと見つめているという感じ。

 批判するのでなく、評価するでもない。でも人が思春期という時期を

生きることの胸苦しさと苛立ちと気負いなどを見ていてくれる。

 14歳の子どもたちがみな持っている「迷うことの恐れ」が徐々に

「迷うことを素直に受け入れられる」ような視線を村内先生は終始一貫

して注ぐ。

 私が子どもだった頃こういう先生に出会っていたらどんな人生を歩ん

だだろうかと、映画を見ている間ずっと涙が止まらなかった。
posted by ほたる at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月01日

私は貝になりたい

 フランキー堺主演のものは見たことなかったけれど、1994年に所

ジョージ主演でテレビドラマを見た。

 とってもいい作品で心に残っている。それだけに今回の中居君と仲間

さんのはどうしようかと迷いながらも見てきた。

 橋本忍脚本。橋本さんは5年ほど前に松本清張原作の「砂の器」をテ

レビドラマにした。このときも主演は中井君だった。そのドラマのシー

ンと今回の映画のシーンが似ていた。断崖絶壁の海、吹雪の海のシーン

が砂の器でもたびたび使われていた。でも個人的にはそういう風景好き

なので気にはならなかった。

 でも、そんな片田舎にまでBC級戦犯として逮捕に来るのだから、戦

後処理とはいえ厳しく取り締まる占領軍の意気込みがあった。

 後半は天国から地獄のような展開に不自然さを感じたものの、最後の

あたりの中井君の演技は素晴らしかった。そうとう気合をこめて身をや

つしたのか理不尽さに懊悩する姿に鬼気迫る雰囲気が漂っていた。

 映画館は前評判の高さと描かれている時代性か結構ご年配の方々、し

かもあまり普段は映画館に足を運びそうにない人や、やはり中井、仲間

とあたかも紅白○合戦の司会者同志が主演ということで若い世代も来て

いた。

 戦争になると一丸となって立ち向かうため一人ひとりの感情も事情も

考慮されず、反対の声を上げられず、自己を殺して人も殺さなければな

らない日常がやってくる。平和ボケなんていわれているけれど、ちゃん

と戦争の醜悪さを描く映画が作られているから平和ボケなんてあり得な

い。

 原作は加藤哲太郎さん「狂える戦犯死刑囚」だったかな。もうすっか

り忘れてしまったのでまた探し出して読んでみようかな。
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2008年11月27日

モディリアーニ 〜真実の愛〜

 先日深夜テレビ上映されたのを録画して日中見たら、昨日の夕刊でモ

ディリアーニの作品が載っていた。

 記事は大阪市が新美術館を大阪大学病院跡地に計画したものの、25

年間頓挫したままというもの。既に開館を予定して美術絵画を収集して

いたが倉庫に眠ったままだとか。とはいっても既存の古い美術館で展示

をしたり貸し出したりしているらしいけど。

 その一枚がモディリアーニの作品で記事と共に写真が載っていた。な

んと奇遇な。

 既に売れっ子になったピカソとなかなか世間に認めらずにいるモディ

リアーニが対立するが、緊迫した二人のやり取りの中にも互いの才能を

認めざるを得ない葛藤が垣間見える。モディリアーニは不遇にも若くし

て逝き、内妻は二日後に妊娠の身で投身自殺してしまう。

 映画はモディリアーニの子ども時代の姿を寄り添わせながらハチャメ

チャな彼の生き様に重石をしているように感じた。

 そしてピカソが死の床で最後に口にした言葉がモディリアーニだった

という。
posted by ほたる at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

「ブタがいた教室」

 この映画の前評判を映画好きの方が「是非とも見て見たい作品」と聞

いてしまったので、「そんなに良さそうならば」と予定でなかったのに

見てきた。

 結論から言えば、ドキュメントのようでドキュメントでなく、ドラマ

仕立てのようでドラマっぽくないところもある。

 春に新任できた教師が6年生を担任すると同時に子豚を連れてくる。

「一年間飼って育てて最後には食べよう。そしていのちについて考えよ

う」と提案する。

 その日から子どもたちは当番を決めてブタを毎日、夏休みも交代で飼

育を始めるがあっという間に情が移り愛情が生まれブタはペットになっ

てしまう。

 卒業式を間近してにいよいよペットになった子豚のPちゃんをどうす

るかの討論が始まる。議論は白熱する。このシーンは子役の子どもたち

にせりふを当てずにアドリブで意見を出してもらう形にした。その分ど

の子のせりふも必死だったし表情も真摯だった。このシーンを見ていて

思い出したのが以前映画の上映会で上映した

「鳥山先生と子どもたちの1ヶ月 授業・からだといのちと食べ物と」

というドキュメンタリー映画。

 1985年制作だから今から23年も前の作品。

 この映画の子どもたちの表情を思い出した。

 ところが「ブタがいた教室」で子どもたちが意見を出し合った合間に

先生の話が入る。場面は子どもの一人ひとりの表情がアップで先生の話

を聞いているのだけれど、先生の言葉が浮いてしまうくらいに子どもの

表情が本物。先生のせりふは脚本にあるから。俳優が下手なのではなく

て、演技の言葉と本物の表情ではどうしても違いが鮮明になってしまっ

ただけのこと。

 中途半端になった気がして、それだけに20年以上前の作品の質の良

さを思い出してしまった。

 あのドキュメンタリーでは教室でブタを解体して残すところなく調理

して食べた。こうやって私たちはいのちを戴きながら生きていく存在か

ら逃れられないということを体当たりで子どもたちに伝えていた。宮沢

賢治に傾倒していた鳥山先生ならではの授業。生き物を食べることへの

感謝と畏敬と痛みが伝わってきた。
 
 そういえばこの対極にあるとも感じられたのが今再上映されている

「いのちの食べ方」。

 この映画には、命を戴くなどという感謝もなければ恐れも痛みない。

あっけらかんというか取り付く島もない感じだった。ここまで感性を排

除できるのかと思えるほどに無機質だった。

 「ただの食材」としての鳥・豚・牛・魚・野菜の飼育・養殖・生産現

場を淡々と映像にしていた。こっちのほうが哀しいかな現実かもしれな

い。

 えっと「ブタのいた教室」に戻すと、子どもの映画は儲からないとい

う意識があるらしいので是非見て欲しい。子どもの口からこんな素晴ら

しい言葉が出てくるってことなかなか家庭においては体験できないかも

しれない。
 
 
posted by ほたる at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

さよなら日本

 緒方拳さんの追悼で深夜テレビで上映された。なんと13年も前の緒

方さん主演の映画。

 沖縄の離島・赤尾根古島が自然災害でも救援してくれない日本政府に

業を煮やして独立宣言をする。各国に独立宣言文を送りつけると、似た

ような独立を宣言している国(国際的には未承認)から独立の承認を得

るが国際的効力としては微弱っていうか無視される。

 ところが沖縄県も日本も大慌てで島にやってくる。言うことを聞きそ

うにないので、自衛隊で威圧する。

 荒唐無稽な展開だけれど、こういう気持ちになる沖縄県人はいるかも

しれないなあと面白く見た。

 監督が堤幸彦さん。この人の作品は一つも見ていないけれど、最近ど

こかで見た記憶がある・・・・。

 そう、先々週に封切られた「まぼろしの邪馬台国」の監督さんだっ

た。きっと予告編で見たのだと思う。吉永小百合さん主演の映画も実は

スクリーンで見たことがないことに気がついた。

 ま、それはいいとして、緒方拳さんといえば「長い散歩」が最後の映

画になったんでしょうか?とてもとても心を打つ映画でした。

 ジャーナリストの筑紫哲也さんも肺がんで亡くなった。

 なんだか注目していた人がぽっとこの世からいなくなるのは寂しいと

いうよりもこちらの生きる意欲が失せていく気持ちになってしまう。

 今朝は相馬雪香さんが老衰で亡くなりました。

 時代が変わるかもしれない。
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2008年11月09日

「落下の王国」

 自殺未遂で入院中も自殺願望から解放されないスタントマンの青年ロ

イが、片腕骨折で入院中の5歳の少女アレキサンドリアと出会う。足が

動かないロイはとある下心から少女におとぎ話を語り始める。

 その話の部分の映像が素晴らしい。世界中の世界遺産を巡り歩いてい

るような気分になれる。砂漠と真っ青な空とのコントラスト、幾重にも

階段で構成された城、さんご礁の海、海を泳ぐ象。何年もかけて世界を

回って映画の撮影をしただけあってどのシーンにも息をのんだ。。

 チラシにも使われていた丈が長くフレアースカートのような衣装で踊

っている人たちの姿。それが映画の中でどう位置づけられているのか、

今回一番期待していた。

 なぜかというとそれが、トルコで生まれたイスラム教の一派で神秘主

義をかかげているメブラーナ教の儀式にそっくり。くるくる回りトラン

ス状態になることで神に近づける。(今はメブラーナは政府に禁止され

た宗教というよりは思想として無形文化財のような形で保存されてい

る)
 
 トルコでのロケはイスタンブールになっていたからメブラーナの興っ

た町コンヤではロケをしていない。関係はないのかもしれないけれど踊

りの様子がそっくりなのと衣装がロングスカートに帽子といういでたち

もそっくりだったから、なにか期待したけれどそれほど重要なシーンで

もなかったのでちょっとがっかり。

 ロイはおとぎ話をしながらも自殺達成のために少女を引きずり込む。

そして彼女は病院で落下する。

 やがてロイの策略に引きずり込まれた少女は自らがおとぎ話の中に入

り込み、自分の父親の最後をダブらせて話を作ろうとする。家族に起こ

った悲惨な体験をおとぎ話で再現しながら彼女なりの「回復」の儀式の

ように。

 ロイはアレキサンドリアが改変していくおとぎ話により自分の仕事、

人生の再出発ができる力を得る。

 「落下の王国」の「落下」は共に落下により怪我をしたロイとアレキ

サンドリアの共通項。

 そしておとぎ話の中にも随所に「落下」がちりばめられ、映画の最後

は「落下」の映像の連続。これが私の好きな映画「ニューシネマパラ

ダイス」の最後のシーンとだぶった。愛おしく哀しく心の奥に封印した

子ども時代と青春時代を思い出させる卓越した演出だった。

 「落下の王国」は笑いを引き出す。傷ついた結果「落下」を選びなが

らも再び「落下」で救われていく。

 「落下」も悪いことばかりじゃない。今の経済も落下一直線だけれ

ど、どん底まで行けば上がるしかない、上がる楽しみも落下があればこ

そ。

 こんなのんきなこといえるのは「そんなの(サブプライム)カンケー

ねー!」からかも・・・。 
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2008年11月03日

「イントゥ・ザ・ワイルド」

 裕福な家庭環境で育った青年クリス・マッカンドレスは優秀な成績で

大学を卒業しながら、家族にも黙ったまま中古の車で旅に出る。真理を

追究するために。

 行く先々で出会った人たち。ちょっと年齢の離れた兄のような農家の

男性。親と同世代くらいのヒッピーの夫婦。高齢で一人で革細工を作り

ながら暮らしている男性。だれもがクリスを弟や子どものように慈しむ

がクリスは黙って彼らの元を離れて旅を続ける。人との穏やかな関係に

浸りそうになる気持ちを振り切るようにして一人旅を続ける。

 映画を見る前は自然に身を置いて、そしてどこか自死をも一つの選択

肢として北に向かった青年の話かと思っていた。だから私の心の中に

「若い人はこういう感傷と持つことがある」という気持もないとはいえ

ない気分で見ていたが、そんなステレオタイプな話ではないと気がつい

たら俄然映画が面白くなった。

 随所に出てくる小説からの引用は彼がずいぶんと思索しながら生きて

きた姿をさりげなく示している。

 親に居所を一切告げずに旅立った背景も時折はさまれる回想シーンで

描かれる。クリスの家庭環境が外見からは分からない複雑さを抱えてい

たから彼が思慮深くなっていったのか、もともとそういう性格だったか

らなのかはわからない。

 自分の生い立ち、嘘と欺瞞で取り繕った家族、そうしたものを超越し

たものを追求するために北に歩を進め、誰も入ってこない荒野に一人で

自然の恵みを食べながら暮らし始める。

 そこで彼は親が与えたクリス・マッカンドレスをの名前を捨て、別の

名前を日記に記す。

 今までの自分を荒野ではいったんリセットする。彼の背負ってきた

「履歴」をゼロにして新たな自分を作り上げたい、見つけ出したいとい

う彼の決意表明。

 そして厳しい季節が来る前に彼は再び荷造りをしてもと来た道を戻ろ

うとするが、大いなる誤算が待ち構えていた。彼は現実の生活に戻りた

くなかったわけではなく戻るのが前提で荒野に足を踏み入れた。だが、

運命は皮肉にも彼の意図したようには回ってくれない。

 そして足止めされる中、彼は再びもとの名前を日記に書きクリスに戻

る。戻るけれども「以前の自分とは違う自分」を彼は見つけ、名前にこ

だわらない自分を作り上げたのだと。

 最後は悲劇的だったが涙は出なかった。

 実話からショーン・ペン監督が制作した本作。ここしばらくあまり心

を打つ作品に出会えてなかった私にはクリスの哲学的な生き方がとても

新鮮で久しぶりのショーンペン監督に脱帽。
 
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2008年11月02日

「レッドクリフ PartT」

 あまりに有名な「三国志」をもとに前・後編で制作されるレッドクリ

フの前編を封切り日が映画の日だったので見てきた。

 それなりに期待して出かけたけれどちょっとがっかり。史実内容も登

場人物のからみも単純化してしまっていたし、上映時間のずいぶんの時

間を戦闘シーンに割いていたため怖くて目を伏せっぱなしだった。

 金城武演じた諸葛孔明も人物像はのっぺりした感じだったし、曹操軍

との戦闘シーンを高いやぐらから見下ろして戦況を判断している姿にも

自軍の劉備軍兵士が次々と倒れているのに平然としたたたずまい。おそ

らくこれくらい冷静でないと軍師なぞ務まらないのだろうが、違和感が

残る。

 救われたのは趙雲、関羽、張飛らが個性たっぷりの俳優を使ってくれ

ていたのと字幕でも他の登場人物でもことさら名前が出ていた。おかげ

で誰が誰か分からなくなるという混乱に陥らなかったことは楽しめた。

 歴史映画では周辺扱い・添え物程度の女性が多いがそんななか、孫権

の妹がずいぶんと個性的に振舞っていた。しかしそうやってもやはりぬ

ぐえないのは男性の作った歴史は本当に権力、覇権争いが中心だったと

思わざるを得ないのと、いまだにそういう歴史を面白がっていること。

どれだけ非戦闘員が迷惑したことか。

 後編では女も赤壁の戦いでは積極的に関わったというふれこみだけれ

ど観客動員するため?

 封切り日、映画の日で1000円、大道芸のイベント中で映画館も混

んでいた。通路から一つおいた席に座ったら反対側も一つだけ席が空い

ていた。カップルで来ている人が多かったのできっと両脇は誰も座らな

いだろうと思っていたら、なんと一人で来たらしい男性が両脇に座って

しまったため圧迫感ができた。その上、上映中、両者ともかばんからな

にやらおつまみを出して食べる。匂いは漂うわ、音は聞こえるわ散々。

確かにその映画館内では飲食を禁じていないから文句言う気はないけれ

ど、ダブルパンチですわり心地が悪かった。そのうえの戦闘シーン。早

く映画が終わらないかと思いながら見たのもよくなかった。

 三国志を読みたいとも思えなかったし、映像にこだわりすぎた感があ

る。そういえば北京オリンピックの開会式も同じ路線だったなあ。
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2008年10月09日

「12人の怒れる男」二キータ・ミハルコフ監督

 1957年制作の同名の映画は超〜〜〜有名。私も10数年前にレン

タルビデオで見た。確かきっかけは落合惠子さんのエッセイで紹介され

ていた。

 今回の映画はロシア版。

 アメリカ映画はスラム出身の少年の殺人事件。陪審員の(少年ではな

い)個性、生い立ち、家庭環境から生み出された偏見、先入観、公平性

などをバックボーンに様々な意見が出される。それでも、結局は少年の

犯行とするには疑問が残るということで全員無罪で意見がまとまる。つ

まりこの映画はそれなりに有罪・無罪を状況や証拠で突詰めていく作業

の面白さもあった。陪審員制度のあり方みたいなものも監督の意図にあ

りそうに感じた。

 日本の裁判員制度と併せて考えてみるとアメリカ版の「怒れる12人

の男」はなかなか示唆に富んでいる。(ついでに「12人の優しい日本

人」という映画なんかも裁判員制度を考えるときには参考になるか

も・・・・。これ、三谷幸喜さんの脚本でまず舞台で演じられ、それが

映画化された。)

 が、今度のロシア版リメークはちょっと違う。今風な刺激的なシーン

も織り込んで娯楽性もいれているし、チェチェン問題を絡めているとこ

ろもロシアの抱える傷をさらしてもいる。

 確かに、アメリカ版もスラムと差別を取り上げていたけれどチェチェ

ン問題はより政治性が高い。今回のロシア版はアメリカ版とは一味違う

ものを作ろうという意欲が充分成功していた。

 そして、陪審員の多弁さ。そういえばロシア文学って長編が多い。

 自分の生い立ちをまくし立てては泣く。チェチェン人への偏見、先入

観で有罪以外ありえないと豪語する。挫折の人生からある女性との出会

いで立ち直れた語る。親に捨てられた過去を持ちながらも、親が子ども

を捨てるということも受け入れる人生を語る。カフカス出身でその地方

の文化について語る。

 一人ひとりの語りから「少年を理解するための視点」をどんどんずら

していく。感情に流されていくようでありながら、警察の証拠調べのず

さんさや弁護士のやる気のなさを指摘し、自分たちがもっと真剣に取り

まないといけないという空気が生まれ、理論立てて考える努力をし始め

る。

 そして、無罪評決に行くかと思わせながらのどんでん返し。

 有罪も地獄なら無罪も地獄。

 それにしても12人の陪審員が合議をするために案内された部屋で

(小学校の体育館だったが)入ったら廷吏に外から鍵をかけられる。

 被疑者の少年も評決を待つ間は監獄に閉じ込められる。

 どちらも逃げられないけれど、何故陪審員まで???
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2008年09月05日

「いま、ここにある風景」

 経済発展が驚異的な中国。(でも新聞報道では北京オリンピック後は

経済発展に翳りが見えるかもしれないという予測もあるけれど)

 経済発展の様子を中国に入ってカメラを回して撮ったドキュメンタリ

ー映画。

 とても楽しみにしていたのに、館内が暗くなって予告もないまま、本

編に入ったものの、数分でまぶたが重くなる予感がした。(映画がつま

らないと感じたからではなく、ただただ眠かったらしい)

 案の定、30分後にはうとうとして途切れ途切れでしか映像が残って

ない。

 大工場でラインで作業をする様子をゆっくりとカメラを動かしている

だけの映像が長々と続く。(これが眠気の発端だった。それくらい単調

でだだっ広い工場内。土地ならどれくらいの広さでもあるという証拠の

ような工場だった。そして社員は黄色の上着。

 とあるシーンではどこの地方都市なのか工場の周辺の大気汚染で曇っ

た町の様子。工事現場の乱雑さ、川の汚れ。それらの映像を撮っている

とどこからともなく、工場の監督官らしい人が現れて撮影禁止を宣告

し、映画監督と話し合いになっている。

 そして世界最大の三峡ダムの工事現場。ダム湖に沈む村は住民がわず

かな日当で建設会社に雇われて自分たちの家を壊す。

 寝ている間にはもっとおぞましいシーンがあったんじゃないかと悔し

い。寝不足でなんか見るもんじゃないと反省。

 北京オリンピックでもそうだった。晴れ晴れしいところは映像を入れ

てでも、少女を声とマスクとで分けて役割分担してでも、見た目を重

視。でも一皮むけば問題を抱えていたわけで、この映像をみているとさ

もありなんという気がした。 

 どこにでもある話かもしれないけれど、さすが大国はスケールが違

う。
posted by ほたる at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

闇の子供たち

 ヤンソギル原作の映画化。もっと数多くの映画館で上映してほしい作

品のひとつだけれど、サイトで見ると上映館は少ない。

 娯楽作品でもないし、自分たちのおぞましさを突きつけられていい気

はしないからなのかもしれない。

 加害国日本の阪本監督があえてタイでロケしタイの俳優に数多く出演

してもらえるまでの苦労は表に葉でてこないけれど、相当大変だっと思

われる。

 弱者の立場にある国のさらに貧困の農村部からただ同然の値段で買わ

れた子どもたちへの様々な虐待。

 買春の対象とされ、薬物まで投与され、タバコの火を押し付けられ、

殴られる。エイズに感染したらしばらくは放置し、死期が近づけばゴミ

袋に入れられる。ゴミ袋を破って這うようにして家に戻っても穢れた存

在として、かつエイズに感染しているため狭い小屋に放り込まれる。死

ねば小屋ごと焼かれる。

 日本の心臓病の子どもが心臓移植を受けるために闇の臓器売買ルート

が買春宿とつながり、健康な子どもが選ばれる。そして生きたまま心臓

を取られる。

 この情報が内部告発により日本の新聞社に流れる。それをきっかけに

タイ支局の記者、ボランティアでタイの施設でボランティアをする日本

人女子大生、フリーカメラマンが動きはじめる。

 ボランティアを自分探しと決め付けられ反発するもののタイとのギャ

ップを思えば自分探しといわれてもしようがない。

 人と目を合わせられないがカメラを通してならスクープを取れるとい

う若いフリーのカメラマン。

 このあたりいかにも緊張感のない日本人を宮崎あおいと妻夫木聡が好

演。

 そしてずっと気になったのが江口洋介演じる新聞記者の南部浩行。早

い段階で、とあるシーンがひっかかる。

 南部の部屋にあった一枚の写真。日本にすむ家族との電話での会話の

不自然さ。
 
 そしてクライマックスの救いのないシーンに息がつまりそうになる。

 買春国であり児童ポルノ映像のお得意さんである日本など加害国との

対立だけでなく、タイの国内でもブローカーとして設けている組織の存

在と警察との癒着。子どもたちに対して加害者である個人にも焦点をあ

てたところに問題解決への道の険しさがこめられている。
posted by ほたる at 17:24| Comment(2) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月22日

初恋

 1968年12月10日の府中東芝工場の社員のボーナス3億円が奪

われた「3億円事件」を当時の学生運動と初恋を絡めた作品。

 主演の宮崎あおいは好感度はともかく演技力は相当あるのでみていて

面白い。

 その演技力をもってしても大河ドラマの「篤姫」はミスキャストでは

ないかと。

 宮崎あおいのよさは華奢な体と幼い表情、強さというよりも強さの仮

面をかぶったもろさが透けて見えるところ。

 まだ今ほど売れてない頃の映画「ユリイカ」「害虫」では、それぞれ

はまり役だった。私は彼女の名前も知らないでこの映画を見たがびっく

りした。その後ブレークして大河にも抜擢されたけれど、「篤姫」は見

ていない。

 幕末期という時代で徳川家の中心核で権謀術数渦巻く状況で生きてい

くモデルは宮崎あおいがいくら演技力があったとしてもあまりに幼い表

情が浮いてしまって、せりふと合わない。

 「初恋」では親に捨てられ親戚の家で育てられる女子高校生みすずが大学生

のたむろするジャズ喫茶に入り浸る。そこである大学生・岸から持ちかけら

れた3億円強奪の計画。「女性であること」と「無免許」であることか

ら決して容疑者に浮上してこないことを前提に、みすずが現金強奪の実行

犯の白バイの偽警官役になる。そして、計画は成功。

 その岸はいずれ大学進学するであろうみすずのために下宿を借り

て、鍵を渡し姿を消す。

 二人は二度と会うことは・・・。

 互いがそれほど意識していない、どこにでもある友達の会話をしてい

るような姿しか描いてないけれど、ひとりになったみすずが大学に通い

ながらも喪失感をたたえた表情やしぐさが切ない。こういうところが彼

女の持ち味なんだよね。何でもできるのが女優かもしれないけれど、無

理なこともある。

 それにしても大学生・岸の言動と彼の父親の地位を重ねると「岸」と

いう役名にも使命があったように思える。

 おまけ  時代背景も状況も違うけれど「初恋」といえばこの曲。

 お気に入りなので貼り付けました。

http://jp.youtube.com/watch?v=UuMG7NbwmMY
posted by ほたる at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

「ヨコハマメリー」

 真っ白のお化粧の真っ白のひらひらのドレスを着て伊勢崎町に立つ通

称メリーさんは、戦後占領軍の将校相手をした「女性」。

 そのメリーさんに関わった人たちへのインタビューで構成された映画

を見た。

 占領軍がいた頃のヨコハマやヨコスカの街を古い地図をたどってみた

り、当時の写真を織り交ぜて、戦後の退廃と一気に流れ込んできたアメ

リカ文化の様子が手をとるように見られる。

 そして戦勝国の戦利品は敗戦国の女性。一般子女を守るという名目で

米軍対象の場所も用意されたがメリーさんは組織に加わることを嫌って

一人で街に立った。それがまた反発を買うこともあったらしいけれど彼

女は一貫して一人で立った。

 そして戦後の復興の中、足を洗うでなくずっと商売を続ける。

 彼女は1995年に姿を消すまでヨコハマの街で立っていたというの

だからお年は今や「後期高齢者」になっていてもおかしくない。

 いったいどんな略歴でどうして背中が曲がっても娼婦として街に立ち

続けるのか・・・、いろいろと面倒を見たり支援した人たちも知らな

い。心優しい彼ら彼女らはメリーさんに立ち入った話を聴かなかったら

しい。人には誰だって触れられたくないことがあるんだからと。

 でも日々帰る家も寝るところもないメリーさんに陰になり日になり支

えた。

 ついには、彼女の背中を押して故郷の親戚に手紙を書いて故郷に帰る

後押しをする。故郷では素顔になってグループホームに入る。その映像

が流れていたがどこにでもいる年老いた女性の姿だった。
 
 主題歌の「伊勢崎町ブルース」とシャンソン歌手が歌う「マイウェ

イ」がとてもマッチしていた。
 
posted by ほたる at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

「靖国」

 話題の映画が自主上映されると知ったときから「行く!」と決めてい

たのに前売り券をずるずると買いそびれ直前になって電話申し込みをし

た。郵送の余裕もなかったので受付で引き換えとなった。

 どれくらいの前売りの売れ行きかも知らなかったが、私は入り口で手

続きがあるので上映開始の45分前に到着した。まだ準備段階なら椅子

を並べるくらいの手伝いは出来ると思っていたら、な・な・なんともう

一割くらいは席が埋まっている。と〜〜ぜんご高齢の方々。

 あっというまに満席になり補助椅子まで出し始めた。

 今回は二日間に合計8回上映。一日目の一回目上映だからなのかどう

かもわからないけれど、驚異的に見えた。これなら興行的にはかなりの

成功になったのでロードショー上映したら興行主は笑いが止まらなかっ

たんじゃない?今回の自主上映した団体もフィルムではなくDVD上映

だったから経費はほとんどかかってないから余剰金が出来たので次また

映画をする時の資金になったはず。これはめでたしめでたし。

 Right Wingの騒ぎも全くなかった。

 春先のあの騒ぎで自粛したなんて情けないというか事なかれという

か、結局ほとぼりがさめて上映したからよかったのか・・・はたまた私

が帰った後、騒ぎが起こったかもしれないがそれを知らないだけなの

か・・・。

 さて、映画。監督が中国人ならスタッフも中国人がいたし、英語の翻

訳はあのジャン・ユンカーマンさんだったから、いってみれば撮影した

がわの人たちはそれなりに主義主張を持っている人たちだったとは思

う、それだけに突っ込まれないように「中立」を意識して撮影している

のは判った。

 それでもなお、シーソーが片方に傾くのはやむを得ないというか、気

持が勝ってしまったというか・・・。

 敗戦の日の靖国の境内を訪れるそれぞれがしっかりと映し出されてい

る。「でも」(とあえて「でも」と言いたい。)

 日本軍の軍服をきて進軍ラッパを吹いたり、国旗を持っていたりアジ

っている人を写しているけれど、境内のざわめき、蝉の鳴き声とがなり

立てるだけの彼らの声は何を云わんとしているのかがさっぱり。(ま

あ、その辺を走っている街宣車もそう)

 境内のベンチに座ってインタビューを受けている遺族70歳前後の女

性の会話も中味がないしそれもまた蝉の声にさえぎられた気もする。

 一方、靖国によって勝手に奉られてしまった台湾 高砂族の遺族はふ

るさとに返して欲しいと社務所で靖国の広報担当者に申し入れしている

シーンは周囲は静かで遺族は冷静に自分たち遺族の気持を話しているの

で、伝わるものがある。日本人遺族のインタビューも自宅の畳の間での

インタビューだったので同様。

 そんなシーンの合間合間に靖国刀の刀匠の仕事ぶりとインタビューが

挟まる。この90才を過ぎた刀匠がすごい!

 何がって、監督が質問をするとうつむく、黙ったまま。ようやく上げ

た顔は柔和な翁の顔でにこにこしているが答えない。

 映画の最初のころは、「年齢からいけばそろそろ呆けが始まっていて

もおかしくないから監督の質問の意味がわかってないのか」、「育った

時代は男は多言してはいけないというしつけで話しベタになったから

か」と、思っていた。

 でも、徐々にその姿に違和感が湧いてきた。

 そして、最後監督のインタビューの質問にうつむいた顔をあげてなん

と逆に質問を仕掛けた。「あなたはどう思う?」これが衝撃だった。

 この刀匠は全てわかった上で柔和な笑みでのらりくらりとごまかして

いた狸さんだった!

 翁の笑みの下に鬼の素顔を見た気がした。

 監督は刀匠の質問に答えたらそれまで撮影したフィルムは全てボツに

なりかねない。そこはわきまえているので監督は自分の意見は一切言わ

ない。そして改めて同じ質問を繰り返すと、刀匠は初めて自分の意見を

言った。内容はそりゃそうだろうなって内容だったから驚きでも何でも

なかった。

 したたかに生きるってこういうことなのね。靖国を見て教えられまし

た。そして家父長制が滅びないのもさもありなん。

 丁度読んでいる本が若桑みどりさんの「戦争とジェンダー」。

 
posted by ほたる at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月05日

「絶対の愛」

 こんな映画の題名なのでいかにも恋愛物かと思うかもしれないし、映

画のジャンルとしては恋愛に分類されている。

 でも私はこの映画を「アイデンティティの問題」と「人は人のどこに

気持を置くのか」という非常にシリアスな内容に思えた。

 キム・ギドク監督の作品はグロっぽくて表現は苦手なんだけれど、奥

が深いので「見たくない・逃げたい」のに「見たい・見てしまう」もの

が多い。

 あらすじは

 セヒは長く付き合ってきた彼ジウがいつか自分の顔に飽きて、他のよ

り美人に好意を抱くのではないかと不安にある。そしてある日ジウの前

から蒸発する。整形して再び別の女性スェヒとしてジウの前に現れ、つ

きあいが始まる。

 セヒは、新しい姿のスェヒをジウが好きになっている、そして自分の

気持は(顔は変わっても)ジウとつきあっているのでジウを誰かに取ら

れたとは思えない。kのあたりがとてもややこしい心理。つまりセヒは

「今の顔のままでいたら、いつか彼は自分に飽きて他の女性に目移りす

るはず」と思い込んでいるから、どうせ目移りするのなら自分が別人に

なって目移りしてもらえばジウも満足、セヒ自身も顔と名前が変わって

もジウを失ってはいないので、満足できると思っていた・・らし

い・・。こんな心理、私には想像もできないが・・・。

 一方ジウの気持はどうかというと失踪したセヒを探すが見つからな

い。傷心のジウの前にスェヒという女性が現れつきあいが始まる。

 ジウは、現在付き合っているスェヒを嫌いなわけではないけれど、か

といって前の彼女のことが忘れられているわけでもない。そのことを知

ったスェヒは動揺し苦しむ。そして実はスェヒはセヒが美容整形をした

のだと告白する。ジウはそのあと・・・。これからのストーリーのほう

がなんとも息苦しい。

 人はどこに惹かれるのか、自分はどういう人間でありたいのか、整形

美人になって新に出直したいと思っても、そうは簡単にいかない人の

心・・・。

 美容整形大国になった韓国ならではの映画といえば映画。

 この映画をレンタルしている間に図書館に注文していた書籍が届いた

というので借りてきた。その中の一冊はアメリカにおける美容整形の現

実をルポした「ビューティー・ジャンキー」。今半分くらい読んだとこ

ろだけれど面白い。いかにも・・・・って感じ。

 また読み終えたら、ちょこっと感想なんぞを載せられたら載せます。

 
posted by ほたる at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

「譜めくりの女」

 先日見た「女はみんな生きている」に出ていたカトリーヌ・フローと

「ある子ども」に出ていたデボラ・フランソワ。二人とも存在感のある

演技でゾクゾクさせてくれた。

 ピアニストのアリアーヌはメラニーが子ども時代に受けたピアノのオ

ーディションで審査員を務めていた。審査員であるアリアーヌはメラニ

ーの演奏中に不適切な態度をとってしまい、それまで順調に演奏をして

いたメラニーはリズムを狂わせてしまい、演奏は散々な結果となりメラ

ニーはピアノを断念する。そして10年ほど経ったある日、メアリーと

アリアーヌはひょんなことから再会する。そしてメアリーの復讐が始ま

る。

 アリアーヌは交通事故で精神不安定になり、以来演奏時に平静を保て

ない。メアリーはそんなアリアーヌの譜めくりを頼まれる。アリアーヌ

の信頼を得、やがてはアリアーヌが「メラニーなしでは演奏をできな

い」という気持を抱くところまで依存させてしまう。

 これがメアリーの計画だったかどうかが不明だけれどあまりに出来す

ぎているし、メアリーのあたかも計算されつくしたような行動と表情が

見ているこちらを不安にさせる。

 感情の起伏がなく口元に笑みを浮かべたときは「嬉しい」というより

も「うまくいった」という気持が潜んでいるようなないような・・・、

とらえどころの無い笑み。

 監督は来日中、京都で脚本を書いたという。日本の文化に触れながら

書いたとしたら能の影響があるかもしれない。メラニーの表情は能面に

似ている。
 
 アリアーヌの不適切な態度でピアノを辞めてしまったメラニー。そし

て譜めくりというピアノ演奏の鍵ともなる立場になり、年上のアリアー

ヌを追い込む。

 たかだかお稽古のピアノをやめた恨みを10年近く抱き続け、仕返し

をするというのもすさまじい。オーディションの時、演奏がうまく出来

なかったことを涙を流しただけで収めたりせず、怒りを吐き出しておけ

ばここまでの執念深さをもつこともなかっただろうに・・・。


posted by ほたる at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月26日

「明日、君がいない」

 アメリカのハイスクールで起きた高校生の自殺を軸にドキュメンタリ

ー風に仕上げた映画。

 事件に至るまでの高校生たちの学校生活と、同級生の自殺後、周囲の

子どもたちへのインタビューとを織り交ぜて構成されている。

 世界中どこにでもありそうな学校風景と子ども同士のやりとり。皮

肉、いじめ、恋愛、男らしさと同性愛。何気ない会話に潜む見得や内面

の葛藤が緊張感を生む。

 事件後、子どもたちがインタビューで吐露する本音。同級生の自死が

なければ語られなかったであろう自分のことが重い口をついて出てく

る。

 一人の人間が命を絶っているのに、相変わらず日は昇り、目覚め、食

べ、学校へ行く。いつもと同じ学校生活が待っている。一見日常が変わ

っていないように見えるのに、確かに何かが変わっている。

 一人の友達がその日を境に来なくなること。永遠に会えなってしまっ

たこと。それを契機に自分の中に隠していたものを見つめざるを得なく

なる。覚悟しないまま本物の自分に突然向き合わざるをなくなる。その

変化が重い。自分の苦しみ辛さしか見えていない10代。誰が死んでも

おかしくない10代。先に死んだのがたまたま自分以外の誰かだったと

いうこと。自分だって・・・苦しいと言いながらもやっぱり自分は未だ

にこちらにいる。

 そしてどの子もその後、一人の同級生の自殺という体験を抱えて生き

ていかないといけない。

 監督は19歳。
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「闇の子供たち」

 この本が映画化されたと知ったとき、6年ほど前にヤン・ソギルさん

の「闇の子供たち」を読んだときの胃と喉の奥に無理やり汚物を押し

込め吐き気があるのに吐き出せないような気持の悪さがバックラッシュ

した。

 タイで売買される子どもたち。暴力と性虐待の日々。その描写のすさ

まじさに字を追うのが辛くてたまらなかった。早く読み終えたい一心で

ページを繰るが、繰っても繰っても暴力が続く。

 ごみ同然の子供たち、警察と買春組織とが一体になっているようす、

NGOの命がけの救出。

 これが映像化されると知ったときの衝撃と、完成したと知ったときの

重苦しさといったらなかった。

 これまでも子ども虐待の映画を何本かは見たが、本作は、「ワンス・

ア・ウォリアーズ」「愛を乞う人」「長い散歩」どころの虐待シーンで

はない。見ようか見まいか揺れているが、おそらく当県では上映はされ

ないのではないかと思っている。すると見るためのは上京するしかな

い。そこまでして見るにはかなりのエネルギーがいるので・・・。

 「こども」を書くとき「子ども」ではなく「子供」と書くのは子ども

の人権の視点から問題だという意見がある。「供」の漢字はお供え物を

意味する。これでは子どもはいつまでも大人のお供え物という意識を根

付かせるというのだけれど、わたしは文字表記にはこだわる気がないの

であまりそれに賛同はしていない。それでも、この書籍・映画が「こど

も」を「子供」と当て字をしているのは適切。まさしく大人の性欲をみ

たし、臓器移植にベストといわれる限りなくフレッシュな臓器提供させ

られ、用済みになれば捨てられる「こども」は大人の「お供え物」以外

のなにものでもない。
 
 6月6日にサイトがオープンし、先日試写会が都内で開かれたところ

で封切りが7月、夏休みに入る頃らしい。

 しかし、いくらこういう現実があるからといって小・中学の子どもた

ちに私は見せられない。映像の衝撃は、試写会を見た人のブログによる

と大人の彼女(アジアの児童買春・臓器移植を知っているし活動してい

た)ですら並ではなかった。(それこそR指定になってないのだろう

か?)

 折りしも6月21日土曜日の朝日新聞の朝刊国際面に「少女に成熟ホ

ルモン インドの売春組織が強制投与」という記事があった。買春させ

るに薬物で胸を大きくして売り出す。卵巣がんになる危険性も高く、急

に大人の体になり心と体のバランスも崩れると記事にあるけれど、14

歳くらいで性暴力を受けたら体の変化以前に心は砕けている。
 
 おまけ「売春組織」の文字が「売る春」になっていたので気になった

が、「春を売らせている組織」なのね。でもなあ・・・。

 話があちこちしてしまったけれど、映画「闇の子供たち」の監督は坂

本順治、主題歌は桑田圭祐、主演江口洋介、つまり制作は日本です。あ

る意味快挙!なんたってアジアでの買春のお得意さんは日本人男性で世

界中から注目されているのだから。真正面から問題作に取り組んだ姿勢

は評価できるから、やっぱり見ないとなあ・・・。どうしよ〜〜〜
posted by ほたる at 08:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月22日

「休暇」

 映画上映と現実とがこんなに良い??タイミングで重なるとは思って

いなかった。

 死刑執行のときに落ちてきた死刑囚の体を支える役をした刑務官には

特別休暇として1週間が与えられる。

 その支え役を申し出る刑務官平井に小林薫。平井は5歳の子どもを持

つ女性との結婚を控えている。ところが有給休暇を他のことで使ってし

まったので新婚旅行にいくための有給休暇が残っていなかった。

 平井の勤務する刑務所に収容されている金田への死刑執行命令書が届

けられ、執行日が決まる。その翌日は平井の結婚式。平井は旅行に行く

ための休暇をもらえるという理由で死刑執行時の体の支え役を自ら申し

出る。

 死刑囚の金田は感情を全くなくした表情で、黙々と雑誌の写真を見な

がら鉛筆画を書く。

 面会に来た金田の妹は死刑執行を知らない。面会に来たのは偶然。面

会室で一度も顔を上げられず、一言も言葉を出せない。金田もまた何も

言わない。そして面会が終わる。翌日は執行日なのに金田も妹もこれが

会える最後の日だと知らないまま、知らされないまま別れる。数日後に

死刑執行があることを知っているのは刑務官たちだけ。

 平井の結婚相手の連れている子どももまた内向的で絵を描くこと。平

井自身もまた口数少なく感情を出すのが得意ではなく、人との交流も控

えめ。どことなく心に何かを抱えた人たちのたたずまいが漂ってくる。

 死刑囚の金田がどんな犯罪で死刑判決を言い渡されたのかは、映画の

中では描かれていない。この映画で伝えたかったのは、死刑執行現場に

かかわる人たちの苦悩。

 死刑を言い渡した裁判官も、死刑を望んだ関係者も、世論も、死刑執

行書に書名押印した官僚・大臣のだれも執行現場に立ち会わない。

 立ち会うのは日々死刑囚と接する刑務官。最も人が見たくない・関わ

りたくない場面に彼らはいつ遭遇するかわからない。そして誰かが立ち

会わないといけない。その誰かが刑務官。

 映画の中では執行には10人余りの刑務官が立ち会っていた。こんな

に多くの刑務官が関わるとは思いも及ばなかったが、多いほうが自分た

ちの苦しみを分け合えるからという配慮があるかもしれない。守秘義務

があるだろうから彼らは外で辛い仕事内容を家族にも友人にも言えな

い。

 最近は内部からの情報提供で死刑が執行されたら刑務所名と死刑囚の

名前が報道されるようになったので、刑務官の家族も執行に関与したか

もしれないと判ってしまう。それがいいのかどうかは当事者の声でも流

れてこないと私たちにはどうとも言えないけれど。

 しかし報道がされるのはそこまで。

 執行時にボタンを押す役があるのは知っていたが支え役があるなど知

らなかった。これほど酷な役はない。ぶら下がっている体を、まだ温か

い体を、震えている死刑囚の体を心停止まで抱きしめる。

 平井は死刑囚を抱きしめる支え役をしたその手で結婚相手の連れてい

る子どもを優しく抱きしめる。死と命。一日違いで抱きしめるものが天

と地、いやいや天国と地獄ほども違う。

 彼の心は引き裂かれながらも、結婚という新しい生活に一歩を踏み出

す。

 そういえば以前住んでいた町の法務局のビルには年中「刑務官募集」

の垂れ幕が下がっていた。

 さもありなん。こんなにも辛くむごい仕事では心がもたず、刑務官の

流動性が高い。

 映画のなかで立ち会い人だった刑務所の所長役??だったと思うけれ

ど、ほんのチョイ役で出ていたのは坂本敏夫さん。彼は刑務官を27年

勤めその後退職して刑務官の日常や苦悩を執筆している。

 彼は確か映画「13階段」でも関わっていた。

 刑務官に執行をさせるのは法律で決まっているにしても、この仕事で

誰が幸せになれるというのか考えるととても重い。

 映画を見に行く日の朝刊で「休暇」の監督門井肇さん「ひと」の欄で

紹介されていた。これまた奇遇でした。

 そうしたら次に見たい「JUNO]。高校生の妊娠を扱った映画。

 今日の朝刊でアメリカで高校生の集団妊娠が起こっているという報道

で映画の影響かもしれないとあったが、どうやら「JUNO」らしい。

 さて、こちらはどういう映画なのか上映中止がいつかわからないので

確実に見られるかどうかは・・・だけど。
 

 
posted by ほたる at 12:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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