2011年06月18日

「百合子、ダスヴィダーニャ」

 最近はあまり目に留めなかった新聞の片隅にある地域の映画館の上映情報が、

何故か今日は目に飛び込んできた。

 とともに私の目が大きく開かれてしまった。

 な・な・なんと「百合祭」でブレークした(と、私が勝手に思っている)浜野佐知

監督の最新作「百合子、ダスヴィダーニャ」が本日から二週間限定公開される

とあった。

 映画のロケが静岡県内で行われたことは知っていたけれど、内容からして「

自主上映されるかなあ。ロケ地が静岡だから県内ではそれなりに自主上映の輪

が広がってくれれば幸い」と一抹の寂しさを感じながらも、自主上映の際には

必ず見に行こうと心密かに決めていた。それだけに、一般の映画館で上映され

るというのは快哉!

 
posted by ほたる at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

100000年後の安全

 渋谷のアップリンクは骨太なドキュメンタリーを上映している。

そこで緊急にこの映画の上映を始めた。見に行きたいのは山々だけれど、

さすがにそのためだけに行くのは気が引けるし、自分ひとりが見て感動

したのでは勿体ない。

 ってことで、今回私が信頼している団体にお勧めすることにした。

 もう十年以上前からその団体の活動を見てきて、講演会や映画会には

行くたびも参加させてもらっているが、首尾一貫しているのが気持ちい

い。

 この映画は放射性廃棄物の最終処分場にカメラが入って撮ったもの。

フィンランドでは撮らせてくれるんだ・・・。とらせた結果、有難くな

い映像になって公開されるかもしれないのに撮らせるところが、素晴ら

しい。

 かたや・・・と思わないでもないが、批判してもしようがない。今回

の大事故をきっかけに私たちが変わる、変わりたいのならこの映画に中

にヒントはいっぱいありそう。だからこそ、みんなと見たいなと思って

いる。
 
posted by ほたる at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

1970年代

 久しぶりにDVDをレンタルして、連続4本の映画を見ました。

 映画の選択基準は特になく、借りてきたものもどういう順番で見るか

は恣意的なのに、4本とも時代が1970年代でした。

 キリングフィールド カンボジア内戦を取材した

記者が後にピュリッツアー賞を受賞した作品の映画化。

 1978年、冬 中国の片田舎の少女と若者そし

てその弟の切ない交流が寒々とした景色を背景に描かれている。

 マンオンワイヤー フランスの綱渡り大道芸人が

ニューヨークのワールドトレードセンターに鋼鉄のワイヤを渡して命綱

なしで綱渡りをしたという。プティ本人だけでなく関わった人たちへの

インタビューと当時の写真や映像だけでもどきどきしてくる。

 アライブー生還者ー 1972年、ウルグアイか

らチリに向けて飛んだ飛行機がアンデス山中で墜落。乗客45人中29

人が生き残った。一人また一人と亡くなり、食料もなくなる。〈アンデ

スの聖餐〉の意味が重い。72日後に16人が生還する。再現ドラマを

入れながら、生還者が40年近くたって当時を語る。再現ドラマがあざ

とくなく、語りも淡々と抑えられた口調でありながら重い内容でした。

 カンボジア・中国・アメリカ(フランス)・ウルグアイと地域もばら

ばら、社会状況も様々。同じなのは1970年代。

 私は何をしていた?
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2009年10月08日

「未来の食卓」

 東京まで行って見てきました。

 その内容に感動してしまい、「あ〜〜あ、これも私が住んでいる県で

は上映予定になってないんだな」と思うと残念でたまらなくなった。
 
 見た直後に、とある友人に会った。感動の覚めやらぬ私は「未来の食

卓」の話を話したら彼女が色よい反応をしてくれた。私としては珍しく

熱く語ったみたい。彼女の関わっているグループで上映会を持ちかけて

みるとおっしゃる。「無理はしないでね」といいつつも、「いのちの食

べ方」は気持ちが凹む作品だったけれど、こちらは気持ちが明るくなる

よ・・・とさらに良い事づくめの一押しまでしてしまった。

 数日後、彼女からの電話がかかってきた。会合で話したら全員乗り気

になってくれた。ついては800字で原稿を書いて欲しいと言われてし

まった。企画を次回の「お便り」に載せたいが、いかんせん映画を見た

のはあなただけだから・・・とのこと。会員でもない私が書くのもなん

だけれど、あちらのグループの人は私をいつも気持ちよく招いてくれて

いる。その様子からして、「この人は〈会費を払ってない会員〉だけれ

ど〈いつかは会費を払える会員〉になるかもしれない」と期待している

のかもしれない。

 頭の中をスケジュール表が・・・。司会をたのまれているのと、講演

会を頼まれているのでそちらの原稿を再構成しないと・・・・、といく

つかの用事が思い浮かんだ。

 でも、熱く語った上に気の弱い私は「書けないよ〜〜」とは言えず、

とりあえず「書き直しは言わないでね」とまともな作文ができる自信は

ないのに、書き直しを言われたら他のものが滞るので「書いたら終わ

り!!」で承諾した。

 硬い文章と柔らかい文章の二作文して送付。とりあえず、合格したら

しい。

 他の用事も無事終了。気がついたらすっかり秋になっていた。

 
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2009年06月30日

BOY A

訳せば「少年A]。日本で起きた事件をヒントに作られたらしい。
 
 テーブルに向き合って座っている初老の男性とまだあどけなさが残っ

ている青年。「新しい名前を考えよう」「過去は振り返らない。あるの

は未来だけだ」と初老の男性は念を押す。

 新しい名前をつける??この青年は記憶喪失でもしたの?一体何?と

思いつつ見た。

 彼は犯罪を犯して出所したところだった。

 名前を変えてしまわないと社会に出られないというのは本名では社会

生活ができないということ。つまり少年Aのしてしまった犯罪は世間を

震撼させ、彼の名前と写真が公表されてしまったということがわかるの

にそれほど時間はかからなかった。

 主役の少年が、おそらく俳優の持ち味だろうけれど、怯える顔、不安

な顔、喜びを感じる顔、苦悩する顔。わずかな気持ちの揺らぎが湖面に

波紋が広がるように現われる。

 幼くして犯罪を犯した彼の家庭環境。ちっとも精神的に育っていない

年頃に、周囲からいろんな気持ちを受け止めてもらえないままいたとき

に、ささいなきっかけで重大犯罪を犯してしまう。

 社会に出ても怯え、友達にも話せない過去を、話さないでいる苦しみ

に負けそうになる。

 それでも保護の男性は決してしゃべってはいけないと何度も何度も約

束させる。

 世間は何年経っても忘れない。事件とは関係ない人が好奇心から、ま

たは危険人物だから危ないだろうという根拠がありそうでたいした根拠

とも思えないような雰囲気から、出所した彼をいつまでも追いかける。

懸賞金をかけてまで。

 少年犯罪については難しい問題はあるけれど、基本は人間はどんな過

ちをしてしまっても人間は周囲の支えでやり直せる。どんな苦しみでも

周囲に支えてくれる人がいれば立ち直れる。それは過去を消すとか忘れ

るということでなく消えない過去を抱えたままでも、やり直しも立ち直

りもできる・・・と信じたい。

 でも映画の終わりは・・・。

 こういう映画もあまり映画館で上映してもらえない。残念。
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2009年06月20日

レスラー

 この映画、見たい気持ちとプロレスの試合のシーンは見たくない気持

ちとが相反していたので「気がついたら上映期間が終わっていた」とい

うことになりそうだなと思っていた。 ところが、先日リングの上で試

合中に亡くなった三沢さんの報道で、ぎりぎり上映終了日に見ることに

した。

 あまりにも痛々しかった。

 かつてはリングで華々しく活躍しお金も栄誉も歓声も独り占めしてい

た元人気プロレスラーのランディ。とっくの昔に愛想をつかせた家族は

立ち去ってしまって、今や年老いて一人で暮らすものの日々の収入もま

まならず、家賃が納められなくはトレーラーハウスからも締め出される

ほどに落ちぶれてしまう。

 それでも週末には少ない観客の前でリングに立ち、なけなしのお金を

手にする。

 老眼鏡、補聴器、杖、大写しになる老いた顔、身体、指。

 近所の子どもと触れ合うものの、時代についていけない会話。

 リングに立つためには弱りきった肘、膝に補強のテーピングをしなけ

ればもたいない。そして筋肉補強のための薬物の大量摂取。

 技でも派手に血を流すためにテープの下にかみそりを潜ませる。(対

戦相手を傷つけるのではなく自分の額から血を流すため)

 ランディは、試合後心臓発作で倒れ手術をする。それを機に離れて暮

らす娘を尋ねる。ようやくかすかながら親子のつながりが復活かと思い

きや、彼のちょっとしたミスから再び娘に拒絶されてしまう。

 自分に残されたものはリング以外に何もない。そして最後のリング

に・・・・。

 主演をしたミッキー・ロークもまた主人公と似た人生を歩んでいるだ

けに、オーバーラップするというよりもドキュメントかと見紛う。

 アメリカ映画らしく粗雑で陽気で品がない(!)が、ここまで人生の

悲哀を切り取り痛々しく描いた繊細さはどこから・・・・?と思ったら

フランスとの共同製作。フランスの感性が光っていたというべきかも。
 
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2009年06月11日

レイチェルの結婚

 結婚で幸せになるとか不孝になるというお話でもなんでもない。

 姉レイチェルの結婚式に出席するために麻薬常習者のリハビリ施設を

出た妹キム。

 家に着くとすでに結婚式に向けて、姉の友人・親戚・楽団員らが集ま

り準備にいそしんでいる。キムが疎外感を感じたのは言うまでもない。

 キムの「とがった」一つ一つのしぐさ、言葉、目の動きが、この家族

に潜んだ何かを浮き上がらせていく。

 キムの行動に過敏と思われるような行動を姉も父も離婚して出て行っ

ていた母も穏やかに受け止めることができない。それが、麻薬常習者に

なった妹だからそういう態度をとるのか、家族関係がギクシャクしたか

らキムが麻薬に溺れてしまったのかも明確にはならないけれど、素直に

なれない家族の姿が痛々しい。それどころか、これまで言えなかった不

満を爆発させてしまう。それで分かり合えて問題解決になったかという

と、そうはいかない。爆発しただけで理解に至らない。

 それでも客人がいる間は緊張しつつも第三者がそれをうまく緩和す

る。ただ、それは問題を先送りしているだけなのだけれど。

 レイチェルは結婚して遠方へ行き、母は再び再婚相手と暮らす家に戻

り、父との二人暮らしを拒んだキムはまた家を去る。

 結婚式終了後の片付けとやれやれという開放感が漂う中、再び離散し

ていく家族。まだまだ人生は続く。 
posted by ほたる at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子供の情景

 アフガニスタンはバーミヤンを舞台にした9・11後の子どもの日常

を描いた作品。

 映画の題からは、『逆境の中でも、きらきらした瞳と遊び道具のない

暮らしの中、自然の中で走り回るアフガンの子ども』のほほえましい姿

が目の前に浮かびそうだけれど、全く違う。

 6歳の女の子バクタイは隣の男の子が学校へ通っているのを見て、自

分も子守ではなく学びたいと純粋に願う。

 ノート・消しゴム・鉛筆を買うために生卵を手に市場へ行き売ろうと

するが、誰にも買ってもらえない。たかが卵数個、子どもが一生懸命売

っていたら買ってあげてもいいのに思うのは、子どもを差別しているの

かと思えてくるほどに、市場の大人たちはそっけない。

 なんとかノートをてに意気揚々と学校へと向かう途中、学校に行かず

に遊んでいる男子のグループにつかまりノートを破られる。

 学校へ行けば、女子は来るなと教師に追い返される。

 女子だけの学校へ行っても、外から紛れ込んだとして追い出される。

 そして帰り道、再び戦争ごっこをして遊んでいる男の子らにごっこ遊

びに無理やり加えられる。既に何人かの女の子が洞窟に捕らわれてい

る。呪文がかけられたように動けなくなった女の子とは対照的に、バク

タイは自由に動けるし、帰ろうとする。このあたり、古い因習に捕らわ

れていると、自ら自由に動くという意志すら失ってしまう人間と、どう

やら教育こそまだ受けていないという点では他の女の子と同様だけど、

自由意志をもっているバクタイの対比が効いている。

 一人、洞窟を出てるものの、男の子らは執拗に彼女に攻撃してくる

(もちろん、遊びだけれど)。

 でもその遊びから逃れる唯一の方法は撃たれたらばたっと地面に倒れ

ること。そうすれば、巻き込まれたごっこ遊びから抜け出られる(とい

う暗黙の合意がごっこ遊びにはどうやらあるらしい)

 「自由になりたかったら、死ぬんだ!」

 という最後の男友達のせりふは遊びの中でのルールを叫んだのか、

大人たちが子どもに見せている現実社会を叫んだのか・・。
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2009年05月15日

消されたヘッドライン

 この映画の広告が今朝の朝刊に全面広告で出ていた。

 「ヘッドライン」という言葉は昨夜聞いたところ。

 いつもは寝室ではテレビをつけない。というか夜の時間帯で見たい番

組は録画し都合にいいときだけ見るので、わざわざ寝る前にテレビをつ

けることは普段は決してない。しかし、昨夜は夕方のニュースを見損ね

たので夜どこかのチャンネルでニュースをやっていないかと、つけてみ

た。適当にチャンネルを変えていたらおそらく教育テレビかな?語学番

組らしいけれどちょっと雰囲気が違う画面が現れた。

 それが英字新聞の読み方のコツというような内容。どのあたりに重要

な記事がのっているのか、とか全ての記事を読むのが難しいときはヘッ

ドラインをざっと見て選ぶということから、ヘッドラインの読み方のポ

イント。

 動詞の使い方、必要最小限の言葉にそぎ落としていく新聞の製作現場

の場面なんかのやりとりはまさしく職人芸だと感心して見ていたら、ニ

ュースを探していたことも忘れてしまった。

 そうしたら今朝の朝刊のこの広告。

 私って、なんかこういう見えない力があるんだろうか?
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2009年04月10日

ハルフウェイ

 う〜〜ん、見ていてずいぶんと腹が立ってきた。

 こんな女子もいるんだろうけれそ、自己中心的にしか物が見られず、

それに振り回されている男子にも「自分はどこにいるの?」と言いたく

なって、どうせなら眠くなってくれたら不愉快にならずにすんだのに、

アドレナリンが出てきて眠気も来ない。

 映画館を出たくても途中退室は他のお客さんの迷惑になる(ときどき

いるけれど、やはり廊下の明かりが差し込んで興ざめすることがあるの

で)できない。なんだか時間とお金を損した気分。
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2009年03月12日

「そして、私たちは愛に帰る」

 お互いを理解しきれない3組の親子。 

 大学教授の息子はどこかだらしない父と距離を取りたがり、父もまた

好き勝手に生きている。

 トルコに住む娘に、ドイツでしている自分の仕事を話せず、嘘をつい

ている母親。娘もまた母の期待を裏切れず嘘をついている。

 真面目な母親にずっと理解されていないという気持ちを抱いたまま大

学生になった娘。自分とは違う娘をどう受け入れていいか分からない母

親。

 この3組の親子がそれぞれで関わりあいながら、互いの姿をみて改め

て自分の姿を振り返る。

 ある親子は娘を失い。ある親子は母を失い、やり直しようもなく悲嘆

にくれる。本来の「愛」に変える気持ちが芽生えたときに「愛」を届け

ることが不可能になるけれど、その愛は身内だけへの愛ではなく他の人

にもプレゼントできるものになっていく。

 国は違っても人の気持ちはつながれる。

 なかなか日常では思い至らないことが映画を通して教えられるから面

白い。
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2009年02月22日

「BANK JOB」

 持ち込まれた銀行強盗。アマチュアの強盗たちが知恵を絞って秘密口

座から持ち出した現金、宝石類に混じってあったのが英王室のスキャン

ダル写真と上院議員のスキャンダル写真。

 政府、情報機関、警察らが工作しながらの犯人逮捕と事件のもみ消

し。

 実際に起こった事件を元に作られた映画らしいけれど、スキャンダ

ル・・・といえばこの国にも最近あった。

 映画は私生活の乱れの証拠写真だけれど、結局、英国民は何も知らさ

れないまま銀行強盗は闇に葬られ、スキャンダルももみ消された。

 こちらは私生活のいい加減さが公的場面であらわれ、映像で全世界に

流れてしまった。

 国民が実態を知ったのは良かったかもしれないけれど、同時に世界も

知った。こういう人を政治の世界に送り出す国民なんだと。
posted by ほたる at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月15日

幸福な食卓

 元教師の「父」と母と兄と私・佐和子の四人家族は毎朝必ず食卓を囲

んで食事をするのが暗黙の約束で暮らしてきた。が、3年前に父親の心

が壊れ、その後は母は別のアパート暮らしを始める。朝の食卓は3人に

なってしまう。そして今、佐和子は中学3年生。というシチュエーショ

ンで始まる。

 いかにもおだやかでなんの波風もない3人なのだけれどその父が突然

「父さんを辞める」と宣言。

 家を出ている母も日中は来て掃除と夕食の準備をしている。

 優秀だった兄は大学進学をしないで農業をしている。

 「こうあるべき家庭」とか「理想的家庭なんかないと思っているけれ

ど、そう思えるのはそこそこ年齢も重ねたから。主人公の佐和子はどう

なんだろう・・と思っていた。

 中学3年の春、転校生がやってきて、彼が佐和子の隣に座り親しくな

る。この彼がまたメッチャ、単純で面白い。そんな彼が佐和子を楽にし

ていく。

 ところが、あるシーンを見ていて「これはもしかしたら次、こういう

展開になるのかな?でも、それは重い・・・」と嫌な予感がした。と思

ったら次の場面で的中。
 
 喪失、再生、失敗、立ち直り、振り返り、前進。

 兄が佐和子に言うせりふがとってもよかった。
 
 「それくらい傷ついているんだよな」

 これまで佐和子の家族はそれぞれが出した結論を朝の食卓で伝えるだ

け。その過程で相談しあったり、結論を変えてもらうように意見を言っ

たりはしない。他の家族は示された結論をただ受け入れるだけ。でも、

一番幼い佐和子は受け入れるのに精一杯だったと思う。父のときも母の

ときも兄のことも。

 高校生になった佐和子が辛さに耐えかねて家族にぶつけた言葉に対し

て兄が言ったのがこの言葉。

 感情をぶつけられるとついついこちらも揺さぶられてとんでもない発

言をしがちだけれど、その内容でなく気持ちをすくい上げられるとこん

なにも心が落ち着いてくるのだと、再確認。
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2009年02月07日

「関西公園」

 2006年大阪市が市内の公園のホームレスを行政代執行で強制排除

した。この前後をドイツ人の映画監督がドキュメンタリで撮影したのが

「関西公園」。

 世界的にも注目されている日本の貧困ということなのかもしれない。

 一見豊かな日本。でもちょっと目を転じれば社会の隅に追いやられ、

青いテントを張ってかろうじて生きているホームレスがいる。彼らの存

在が西欧からは奇異に見えるのかもしれない。しかも公園に住んでいる

ホームレスの存在を景観を損なう者として疎ましく思っているかのよう

な強制排除。そこにはホームレスの救済という視点が欠けている。

 行政に対してデモをしているシーンには知人が映っていた。

 ご本人はここに「出演」していらっしゃることをご存知なんでしょう

か?

  
posted by ほたる at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

ディスコ

 懐かしい音楽が満載かと期待したものの、意外にも少なかったのが残

念。

 舞台がフランスの片田舎。40歳になって二十年前のディスコで名を

はせたのは過去のこと・・・・とできなっかった男3人の姿がほほえま

しい。

 私の固い頭でイメージしているフランス映画とはちょっと違っていて

単純に楽しませてもらえました。

 今年はどうやら「フランス映画開眼」かも。

 懐かしい一曲をどうぞ。

http://jp.youtube.com/watch?v=uTzDl5mlDsg&feature=related



posted by ほたる at 20:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

「プロミス」

 アメリカ生まれのイスラエル人の映画監督が1997年から2000

年の3年をかけてイスラエルのエルサレムに住むユダヤ人の子どもとパ

レスチナ難民の子どもらに取材して作ったドキュメンタリー映画。

 丁寧に子どもの話を聞く監督は双方の子どもたちの信頼を得る。

 あるときアラブの子どもが「イスラエル人を嫌い」だと話すと監督が

「僕もイスラエル人だ」という言葉にびっくりする。子どもたちは監督

のことをアメリカ人だと思っていたらしい。

 戸惑いながらも「アメリカ育ちのイスラエル人はいいんだ」と子ども

なりに好きになった監督がユダヤ人でも受け入れられる理由を探す。

 ところが監督はまたも「僕は子ども時代はイスラエルに住んでいた」

と。その時の子どもの混乱といったらなかった。そして「監督は特別」

という例外を設けることで自分を納得させる。

 結局、人は相手がどこ出身だろうと、何を宗教にしていようとも相手

への信頼ができれば「好きになれる」。私は好きなシーンだった。
 
 最初、双方の子どもたちは別々で取材を受ける。でもどうやら監督と

の会話でユダヤの子は、監督がアラブの子どもも取材していて、そのア

ラブの子どもがどんな子で何が得意なのかという話を聞いて知ってい

る。もちろんその反対も。

 この子どもたちは監督が取材している相手の子どもたちが気になり一

度会ってみたくなる。その瞬間を見逃すことなく監督はアラブの子ども

を取材しているときにイスラエルの子どもに電話を入れ、二人が携帯で

初めての会話をする。お互いにあったことはなくとも監督から陸上が好

き、サッカーが好きなどの情報を得ていたのでそれを足がかりにぎこち

なくとも会話し、アラブの子どもはユダヤの子どもを難民キャンプに招

待する。

 最初は遊び、食事を共にする。そして話し合い。
 
 でも、子どもたちはよく知っている。子どもは悪くないということ

を。だから会いたくなったし怖いことはないということも。

 映画を見たときは今回のイスラエルのガザへの空爆がまだ激しかっ

た。

 映画の子どもたちは今はおそらく20歳前後になっている。

 その子どもたちは今回の空爆をどう思ったのだろう。相手の身を案じ

のだろうか。

 それともインタビューから9年を経て考え方が変わったのだろうか。 
 そして何よりも生き延びていてくれるのだろうか?
posted by ほたる at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「感染列島」

 もっとセンセーショナルなつくりにしているのかと思ったらちょっと

意外。それでよかったといえばよかったかもしれないけれど。

 感染は新型インフルによるものではなく、とある国の離島のさらに山

奥の洞窟に生息していたコウモリのウィルスが人間の接触により人間の

世界で広がり、そこで救援活動をしていた日本人医師が帰国して持ち込

んでしまうという設定。

 爆発的に感染が広がり病院に患者が溢れるシーンと首都の繁華街はス

ラムのようになり車が横転し、ゴミが風に舞って町から人の姿が消えて

しまうシーンがつながらない。

 ちょっとちぐはぐで、逆にこういう映像にすることで「作り物」っぽ

くして社会不安を起こさないように工夫したのかもしれないと思えるく

らいにちょっと拍子抜け。 

 
 
posted by ほたる at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

「刑法175条」

 ドイツの刑法で1994年まで撤廃されていなかった175条は同性

愛を禁止するものだった。刑法ができたのが1871年なので実に12

0年にもわたって施行されていた。

 この法律によってナチスは同性愛者を弾圧しユダヤ人同様に強制収容

所に送り込み殺害した。戦後生き延びた人たちもいたが差別は残ってい

たので誰もが口を閉じ被害の実態は表に出てこなかった。

 ようやくその迫害の存在を感じたホロコースト記念館(だったと思

う)の学芸員が数名の生存者への聞き取りをした1999年のドキュメ

ントフィルムだった。8年前の山形ドキュメント映画祭で上映された。

 どの被害者も高齢になりひっそりと老後を過している姿が痛ましい。

戦後声を上げることがかなった他の被害者(ユダヤ人、障害者ら)とは

対照的ですらある。

 「今でも彼らへの差別は残っており70カ国以上で刑罰の対象で最

悪、死刑が適用される国もある」とはパンフレットの引用です。
posted by ほたる at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

「アンナへの手紙」

 アンナ・ポリトコフスカヤ。2006年10月7日に自宅アパートの

エレベーター内で暗殺された。

 暗殺の新聞記事は小さかったけれど「チェチェンやめられない戦争」

を読んでいた直後だったので記事は目に飛び込んできた。

 「アンナへの手紙」は生前のアンナへのインタビューや新聞社の同

僚、家族らへの聞き取りで構成されているドキュメンタリーだった。

 チェチェンの取材を始めて彼女から笑みが減り笑いが失せ、思慮深く

なっていったという。命がけでチェチェンに入り、チェチェン人の現実

をロシア内で発行する新聞に記事を載せ続けた。世界が知らない、各国

のメディアも無視しつづけるチェチェンの実情をペンの力で書き続け

た。そんな彼女は知っていた。「自分が生きているのは奇跡。」ロシア

軍の侵攻で戦争状態の国で取材をしているから命がけなのではなくて、

ロシア国内で事実を書いているから命がけで、それを知りながらもチェ

チェンを無視できない彼女の正義感が痛ましい。

 元ロシア情報将校リトビネンコも放射性タリウムを盛られた可能性が

あった。ウクライナの政治家ユーシェンコも突然の発疹で人相が変わっ

た。これも毒殺未遂の可能性。アンナは暗殺の二年前にも航空機内でお

茶を飲んだ直後に意識不明になった。

 生前の彼女のインタビューでの発言は落ち着いたもので過激でないだ

けに意志のつよさがじんわりと伝わってくる。

 映画の題は「アンナの手紙」ではなく「アンナへの手紙」。
posted by ほたる at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

「懺悔」

 懺悔の値打ちもないほどに・・・・という歌詞が脳裏に浮かんでき

た。

 旧ソビエト時代、地方の権力者ヴァルラムが死亡したという新聞が報

道され葬式がとり行われる。かつて市長をしていたヴァルラムは自分の

権力維持のためにありもしない犯罪をでっちあげ人々を逮捕し刑罰に処

していた。ところが埋葬したはずのヴァルラムの遺体が墓から掘り出さ

れる。すぐさま犯人は捕まるが、犯人はかつて8歳の少女時代にヴァル

ラムにより父親が粛清されるという過酷な体験をしていた。

 懺悔をしても決して許さない、墓場に埋葬される価値もないと烙印を

押されてしまうヴァルラム。そしてヴァルラムの遺族にまでも不幸が及

ぶ。

 抑圧された社会と君臨する為政者。共産主義が崩壊するのはこの映画

制作の7年後だけれどよくぞ体制下で撮影されたものだと監督の意欲に

頭が下がった。
posted by ほたる at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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