2006年12月02日

板橋両親殺害事件判決

 裁判官にもっと常識を知ってもらいたいと思うような判決。なのに

朝日新聞では厳罰化を求める世論への配慮なんてある。これで裁判員

制度になったら、良識のない判決が増えそうで恐ろしい。法に拠らず

世論で動く判決オンパレードかもしれない。
 
 いじめという暴力によって自殺した子どもの事件は「いじめを何と

かなくそう」という声になる。一方家庭において虐待という暴力を受

け、追い詰められた子どもが殺人事件を起こした場合には何故、「大

人による虐待をなくそう」という声にならないんだろう?

 大阪府池田市の小学校であった事件で死刑執行された犯人も愛情の

ない家庭で育っていたらしい。静岡での健康食品会社の女性二名を殺

害した犯人も幼少時から虐待を受け続けていた。

 トルーマン・カポーティの小説「冷血」のもとになった事件、一家

惨殺における犯人二人のうち一人・ペリーはマイノリティ(ネイティ

ブアメリカン チェロキー)の家庭に生まれ、かつ親から虐待を受け

ていたことがカポーティの綿密な聞き取りにより明らかにされてい

た。カポーティは言う。「ペリー(犯人の一人)と僕とは一時期一緒に

育った。でもペリーは家の裏口から出て行き、僕は表玄関から出た」

と。カポーティ自身が被虐待児だった。

 いじめであれ家庭における虐待であれ暴力の被害者は内向性が優位

な子であれば引きこもったり自殺をして、わが身への暴力という形を

取る。ほんの少し外向性印の強い子であれば外に向かって行動が現

れ、他者への暴力という形をとる。もちろん、暴力の被害者全員がど

ちらかの道に進むわけではない。他の要因によって虐待から立ち直れ

る子どものほうが多いかもしれない。

 そういう要因が身近にあるかないかで、その後の人生にも影響する

と思えば、あんな判決安易に出せないと思うのだけれど。
posted by ほたる at 22:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 最近の報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もこの判決は酷いと思った。まるで見せしめのようだとさえ感じたもの。今思い出しても目と鼻の奥がツンとする。テレビ報道だけど、彼は父親に対しては、自分の将来を思ってしたことだったのに、それが理解できなかったと言って後悔しており、母親については、悔やんでも悔やみきれないことをしてしまったと言っているそうだ。誰も親を殺そうなんて思って生まれてくる子はいな
い。彼をそこまで追い込んだ状況が、長い年月があるわけで、責められるべきはそちらの方だと思う。親からの虐待が、子供をどれ程傷つけるか。それは永きに渡って子供の人生をも狂わせる程の現象となって現れるのだから、その罪の重さは計り知れない。子は親を選べないんだよ。15歳の少年に、懲役14年(?)嘘でしょう?耳を疑った。子殺しの親にこれだけの刑が下りるかしら?
Posted by ニゲル at 2006年12月04日 14:21
 「子殺しの親にこれだけの刑が降りるかしら」という言葉は我が家でも出ました。懲役14年なんて出ないよね。いかに子どもの地位が低いかということが、こういうときにも現れるんだもんね。
Posted by ほたる at 2006年12月04日 15:10
同感です。あなたのように冷静に判断できる人間こそ裁判員に相応しいと感じますが、感情ありきで突っ走る人間も選ばれる現状下で裁判員制度は果たして正しく機能するのかと危惧します。
この事件は個人的に少年院送致にして矯正教育の個別カリキュラムを組むべきだったのではないかと感じていました。
厳罰や世論に流される司法で在ってほしくないですよね。
Posted by at 2013年07月10日 06:11
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