2009年12月22日

人権で世界を変える30の方法

 偏って本を読む悪い癖がでてしまって、借りてきた本。

 それでも新しいことに出会えて嬉しい気持ちになった。

 1948年12月10日に国連総会で加盟58カ国中48カ国の賛成

で採択された「世界人権宣言」誕生秘話なるものが紹介されていた。4

8カ国とはいえ反対票を投じた国はなかったから、実質趣旨には全加盟

国の賛成が総意と捉えてもあながちずれてはいないと思っている。

 その世界人権宣言の起草作業を担った国連人権委員会。

 その委員会の委員長にアメリカ32代大統領フランクリン・ルーズベ

ルト(彼は国連創設を第二次世界大戦中に唱え、終戦前の1945年2

月に病死している)の妻エリノア・ルーズベルトがすわった。

 既に故人とはいえかつては大統領の妻、しかも学者でも弁護士のよう

な専門家でもない彼女がなぜ国連に関わったのか。当時のトルーマン大

統領が彼女のアメリカ国内での人気を恐れて国内に留めておきたくなか

った。国連という外交の場で動いてもらえれば、トルーマンにとっては

「我が身安泰」という思惑があったためにエリノアは国連に関わること

になる。な〜〜んだと思わないでもないが結果としてそれが幸いした。

 彼女自身、女性として差別を受けた体験から人権の必要性を感じてい

たので国連で人権委員会の関わるのに戸惑いはない。

 さらに、私たちにとっても〈たなぼた〉だったのは、他の人権委員会

の委員たちも「学者や専門家よりもごく普通の人たちの感覚を理解し、

女性としての差別を深く感じている当事者が適任だと判断されたため彼

女を委員長の椅子に座らせた。

 これが幸いして世界人権宣言は社会変動にも変更される必要のないほ

どに人権を網羅している。

 資本主義国が主張する「自由権のみが人権だ」という声だけでなく社

会主義国が主張する「社会権も人権に含めるべきだ」という意見をも彼

女は深く共感し、世界人権宣言の22条から26条に取り入れた。

 日本国憲法の草案に20歳の女性ベアテ・シロタ・ゴードンがカミン

グアウトしたときも驚いた。彼女は、日本の女性が同じ女性でありなが

ら底辺に置かれていたことに心を痛め、女性の人権保障を憲法に盛り込

もうとして奔走した。

 エリノアの動きにもこれに通じる。

 アメリカ女性は弱者の立場に立たされた人たちへの共感から行動へ移

すチャンスを捉え、権力に阿ることなく権威に酔うことなく仕事を果た

す人たちが多い。

 私のノートにはエリノアが加わった。
 
posted by ほたる at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみたら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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