2009年06月11日

レイチェルの結婚

 結婚で幸せになるとか不孝になるというお話でもなんでもない。

 姉レイチェルの結婚式に出席するために麻薬常習者のリハビリ施設を

出た妹キム。

 家に着くとすでに結婚式に向けて、姉の友人・親戚・楽団員らが集ま

り準備にいそしんでいる。キムが疎外感を感じたのは言うまでもない。

 キムの「とがった」一つ一つのしぐさ、言葉、目の動きが、この家族

に潜んだ何かを浮き上がらせていく。

 キムの行動に過敏と思われるような行動を姉も父も離婚して出て行っ

ていた母も穏やかに受け止めることができない。それが、麻薬常習者に

なった妹だからそういう態度をとるのか、家族関係がギクシャクしたか

らキムが麻薬に溺れてしまったのかも明確にはならないけれど、素直に

なれない家族の姿が痛々しい。それどころか、これまで言えなかった不

満を爆発させてしまう。それで分かり合えて問題解決になったかという

と、そうはいかない。爆発しただけで理解に至らない。

 それでも客人がいる間は緊張しつつも第三者がそれをうまく緩和す

る。ただ、それは問題を先送りしているだけなのだけれど。

 レイチェルは結婚して遠方へ行き、母は再び再婚相手と暮らす家に戻

り、父との二人暮らしを拒んだキムはまた家を去る。

 結婚式終了後の片付けとやれやれという開放感が漂う中、再び離散し

ていく家族。まだまだ人生は続く。 
posted by ほたる at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子供の情景

 アフガニスタンはバーミヤンを舞台にした9・11後の子どもの日常

を描いた作品。

 映画の題からは、『逆境の中でも、きらきらした瞳と遊び道具のない

暮らしの中、自然の中で走り回るアフガンの子ども』のほほえましい姿

が目の前に浮かびそうだけれど、全く違う。

 6歳の女の子バクタイは隣の男の子が学校へ通っているのを見て、自

分も子守ではなく学びたいと純粋に願う。

 ノート・消しゴム・鉛筆を買うために生卵を手に市場へ行き売ろうと

するが、誰にも買ってもらえない。たかが卵数個、子どもが一生懸命売

っていたら買ってあげてもいいのに思うのは、子どもを差別しているの

かと思えてくるほどに、市場の大人たちはそっけない。

 なんとかノートをてに意気揚々と学校へと向かう途中、学校に行かず

に遊んでいる男子のグループにつかまりノートを破られる。

 学校へ行けば、女子は来るなと教師に追い返される。

 女子だけの学校へ行っても、外から紛れ込んだとして追い出される。

 そして帰り道、再び戦争ごっこをして遊んでいる男の子らにごっこ遊

びに無理やり加えられる。既に何人かの女の子が洞窟に捕らわれてい

る。呪文がかけられたように動けなくなった女の子とは対照的に、バク

タイは自由に動けるし、帰ろうとする。このあたり、古い因習に捕らわ

れていると、自ら自由に動くという意志すら失ってしまう人間と、どう

やら教育こそまだ受けていないという点では他の女の子と同様だけど、

自由意志をもっているバクタイの対比が効いている。

 一人、洞窟を出てるものの、男の子らは執拗に彼女に攻撃してくる

(もちろん、遊びだけれど)。

 でもその遊びから逃れる唯一の方法は撃たれたらばたっと地面に倒れ

ること。そうすれば、巻き込まれたごっこ遊びから抜け出られる(とい

う暗黙の合意がごっこ遊びにはどうやらあるらしい)

 「自由になりたかったら、死ぬんだ!」

 という最後の男友達のせりふは遊びの中でのルールを叫んだのか、

大人たちが子どもに見せている現実社会を叫んだのか・・。
posted by ほたる at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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